( 農業資材、環境整備、教材・教具、文房具 など )
2015年5月2日土曜日
ネパール地震救援募金
( 農業資材、環境整備、教材・教具、文房具 など )
2012年6月18日月曜日
ディリチョール報告(2012年3月)
ブタ飼育支援を始めて1年。今年の3月、村で1年間の成果を確認した報告を、家畜専門家のネパールカルナリ協力会の理事の染井氏に報告してもらいます。
「2012年3月の養豚プロ ジェクト」報告
「子豚生産は順調なすべり出し」 染井英夫
昨年、現地ユースクラブの会員たちと養豚事業のプロジェクトを立ち上げて以来、1年ぶり に現地を訪れ、
事業の進捗を確かめるとともに、今後の課題を探ってきました。
プロジェクト1年目の計画はティルクに共 同農場を建設するとともに、将来の養豚生産の基礎となる繁殖用
の豚を購入することでした。
初年度ということもあり、果たして計画どおりにいくものかどうか、大いに不安を持ちながら3月10日に現地に入り、翌日から村内を巡回してまわりました。
先ず共同農場建設についてですが、当初計画していた内容は、用水の便の良いところに種付け用の雄ブタの
飼養設備、雌豚の分娩設備、哺育用舎房と広い運動場を備えたものを建設する予定でした。ところが実際に整
備されたものは、参加者が各戸でそれぞれ雌豚を管理する形で、豚小屋の増築あるいは改修がなされていました。計画変更の経過を詳しく聴いてみると、管理のために共同で出産する形がどうも彼らの国民性に合わな かったようです。
ともあれ、個別に管理する形で雌豚は予定どおり導入され、それぞれの家で飼育されていました。豚の 導入は
人数分の頭数のメスと、共有する1頭のオスを子豚で購入し、1年後の現在、順調に種付けが進み、早いものは今年に入って1回目のお産を終えていました。 巡回しながら、聴き取りによって確認したお産の結果は、次のような状況でした。
導入子豚数:(オス)1頭、(メス)8頭
うち、分娩頭数:5頭、分娩予定(受胎):2頭、未受胎:1頭
また5頭の分娩成績は、産子数が8、7,8,7,6頭 の計36頭( 平均 7.2頭 )で、ほとんど改良され
ていない豚の産子数としては可もなく、不可もなしといったところでしょうか。
しかし、死産の数や産後の管理不徹底のためと思われる子豚の損耗が12頭もあり、徹夜してでも分娩 前後の管理を十分にやるよう指導してきたにも拘わらず、大きな損耗を出したことには舌打ちする思いでした。また、オス豚は短期間にメス豚8頭中7頭の種付けを成功させたように、その資質は十分に高いものと 評価できました。
ところが驚いたことには、彼らの言葉を借りれば、「勝手に小屋を脱け出して村内の畑を歩きまわり、 作物に被害を与えているクセの悪い豚」だと言うのです。簡単に脱柵できるような小屋で飼育して、村内を徘徊しても放置しておきながら、「クセ が悪いから処分して別のオス豚を購入し直す」と言うのですから、あいた口が塞がらないというのはまさにこのことです。 実績のあるオス豚なの で、しっかり管理して大事に使い続けるよう説得して、今後の管理体制に責任を持つよう話し合わせました。
ところで、ネパールは未だに狂犬病が撲滅されていないお国柄であり、この村でも導入したメス豚1頭 が野犬の侵入により咬まれて死亡し、残っていた4頭の子豚も母乳が途絶えて死亡したとのことでした。そこで、各人の飼育小屋は、夜間における野犬の侵入が防げるように堅固な補修をするよう指導せざるを得ませんでした。ほんとうに困ったものです。
このように様々な問題を抱えながらも、事業開始1年を経て子豚生産がはじまったということは、ティルクだけでなく ディリチョウルVDCの農業生産全体にとって養豚事業が拡大していくきっかけになる大きなターニングポイントとなる可能性が出て きたと思います。
今後は、子豚の出荷体制(ユニオン)作りとともに、豚肉を村の食生活に生かしていくことが大切だと 考 えています。
最後に、プロジェクトに参加した若者たちの感想をいくつか紹介しておきます。
少しお金を使ったが、大きな収入源を得て良かった(バクタ)
1年に2回も子を産んでくれ、短期間で収入の上がるビジネスのようだ(ヴィシュヌ)
短期間に肉をいっぱい作ってくれる家畜だ(パダム)
うちの豚は今妊娠中だが、これから金が入るので将来も飼い続けたい(ラン・バハドール)
| (写真1)4月中には産みそうな親豚 | (写真2)この春産まれた子豚が元気にとびだしてきた |
2011年12月8日木曜日
ネパール姉妹校訪問記・2011 part2
千葉明徳中学校 技術家庭講師 築地 史郎
(千葉明徳会 明徳土気保育園美術スタッフ)
何故 又 今年も自分はいくのだろう。出発が近くになるにつれて何回か自分に問いかけるものの、すぐに答えは出ないまま今年も行って参りました。
姉妹校への訪問は3回目、外国で授業ができる経験はなかなか得られるものではありません。夢のようだった1回目の体験は、理事長についていく事であっさり実現、2回目は、天候の不順で違うハイスクールに行って来ましたが、姉妹校とは違う雰囲気の中での授業は、それはそれで楽しいものでありました。
3回目の今年は、何とか姉妹校にたどり着き、何回も行っていると、初回では見えなかった現実がみえてきて、授業への自分の関わりも真剣なものになります。顔を覚えた先生や生徒達と嬉しく再会できて、国境を超えるのは人と人とのつながりである事を実感できました。
(人との再会の為に私は又きたのだろうか)
『現地の先生は、授業が終わると鉛筆の数を何回も数えた。』
もともと紙や鉛筆が貴重品な地域で絵の授業というのもどうかと思うのですが、私はネパール人の描く顔に興味があり、イラストの様に、眉毛と鼻を一気に描く所にしびれているのです。 授業では、まず私が人物を描いてみせ、次に生徒に描いてもらって、その作品の中に、このパターンを発見するのが私の楽しみの一つでもあります。ところが、今回は狭い教室に100人近い生徒が集まってしまったので、生徒の描いた絵を見て回るだけでも大変でした。先生の説明によると、生徒の中には貧しくて鉛筆など持ってない人もいます、との事。私が用意した60本の鉛筆と生徒の持っているボールペンなどで何とか人物は描き上がりましたのでまとめに入りました。咄嗟の判断で、10人程の絵を選んで作者を前に出し、プライズとして鉛筆をあげる事でしめくくり。絵の授業というよりはコンペティションでしたが、これがネパールスタイルだよなと独り言。助手をしてくれた先生がまとめの話をしてくれというので、『絵が描けると言葉が解らなくても意思や要求が伝えられるし、コミュニケーションに役立つから大切です。』と、これまた咄嗟の判断で話す自分がおりました。
ともあれ授業が終わったところで、先生は真面目な顔で鉛筆を回収しはじめました。そして何回も数を確認、何故そんな事を一生懸命にと思った瞬間に私ははっとしました。ここはネパールでも貧しい西の方の地域で、先生は生徒達が鉛筆をちゃんと返せるかどうかにこだわっていたのでした。数が合った時の先生の誇りに満ちた表情は私には驚きでありました。日本にいると、貧しさと向き合う事は殆ど無いので、授業の前に充分意識しておくべきだったと後から思った事でした。
実は、高橋孝夫先生(高等学校・美術科教諭)のリポート(学園ニュース146号掲載)にあった様に、この後からが大変でした。授業のお礼に生徒の歌を聞かせてくれるというので、喜んでいた私でしたが、歌や踊りが次から次へと続いて大芸能大会の様になってきて、音を聞きつけた生徒が更に集まってきたのです。一つしか無い入り口は生徒で塞がれ、窓のそばによると、今度は窓の外から見ている小学生にどいてくれといわれる始末でした。
(来る度に新しい驚きの体験がある)
『 TVやゲームはなくても祭りがある 』
授業での盛り上がりは、夜の交流会につながっていきます。もともとネパールには沢山の祭りがあり、歌ったり踊ったりの自己表現は子供の頃から鍛えられます。日本のアニメやゲーム文化もすごいと思うけれど、ここで感じる祭りの原点や、人々の楽しみ方も素朴で力強くていいなあと思います。
『明徳の学生さんの履き古したシューズを売る。』
昨年、ミッチーこと永島先生(高等学校・英語科教諭)が、日本から持ってきた色々な物を売り、盛り上がって楽しかったのですが、今年は去年出来なかったシューズ売りの係が回ってきまして、私は履き古したシューズを200ルピーで売りました。日本製は質が良いとの事で、程度のいいものからどんどんなくなっていきました。噂は広がって、次の日にも靴はないかと聞かれて閉口しましたが、Tシャツでも何でも売る方も買う方も楽しい時間が持てます。売り上げは姉妹校に寄付してまいりました。
余談ですが カトマンズは面白い所です。
私たちはカトマンズにつくと街の散策にでるのですがこれが又面白い、理事長の福中先生が先頭になって案内してくれるのですが、始めての人はカルチャーショックにおちいります。映画のスクリーンの仲に飛び込む感じです。ジューススタンドではザクロの生ジュース、(福中先生は普通に飲むけど、私は恐る恐る飲む。)本当に美味しい。マーケットで買える岩塩は、これも病みつくテイストです。街は、私には迷路ですが、さすがに何回も行くとそれなりに解って来ます。又カトマンズのめぼしいレストランはほぼ連れて行ってもらっている様に思います。行く前に、食事は!と心配する方もいると思いますが、実はお洒落で美味なレストランが多いのがカトマンズ。
行く前は、なんで今年も行くのだろうと考えていた私も、来年はこうしようとか思うのですから、これはもう自分の中ではイベントの一つなのかも。同行する人達も、毎年ユニークな人ばかりで、理事長を隊長とする姉妹校訪問隊は、けっこう楽しくて愉快な仲間となって10日間を過ごすのです。
一緒に行ってみたい方は、どこかにいませんか?
ネパール語・ミニ講座 ククラ(にわとり)・ククル(いぬ)・ククリ(ナイフ)
2011年11月2日水曜日
2011明徳学園姉妹校訪問記
千葉明徳学園教諭 高橋孝夫
ネパールガンジで足止め ジュムラから歩いて4時間
日本からネパール・ディリチョール村までは本当に遠い。成田~バンコク~カトマンズ~ネパールガンジ~ジュムラ~そこから徒歩約4時間かる。4回飛行機に乗らないと村に到達できない姉妹校って実はネパールではなく、南米アマゾンのどこかの奥地ではないかと思ってしまう。
雨期が完全に終わってないので雨が降ると、ネパールガンジ(以後ガンジ)からジュムラ行きが飛ばず、飛ぶまで2日間ガンジの空港で足止めを余儀なくされた。いつ飛ぶかも知れないのでずっと待機、待機、待機の連続だ。しかもガンジはネパール南部の町で署くて湿気がある。空港はクーラーもない。外にしストランらしきものがあるにはあるが、もちろん冷房はない。だからガンジの2日目にジュムラヘ飛ぴますと返事を貰った時の嬉しさは忘れられない。何故ならあと1日日程が延ぴるとカトマンズに戻らなくてはならなかったからだ。去年もここから先に進むことが出来ず、カトマンズに戻っていたのだ。
向かうメンバーは理事長(後に隊長と命名)築地先生(明徳中学校技術担当・画家)佐藤君(築地先生の教え子で現代美術を字ぶ27歳)北村先生(明徳土気保育園保育士)北村先生の愛娘、葵さん(明治大学山岳部21歳)ポビタさん(ネパール語通訳)と高橋(なぜか美術関係が多い)のメンバー7人である。
ガンジまで来ると大体メンバーの中で結東感が出来ていて、私達が操縦できる訳ではないのだが、何が何でも飛ぶぞという意思がみんなにみなぎっていた。はるばる日本からやってきてオメオメ引き返すわけにはいかない。ガンジからジュムラまでは大きな山をふたつ超えなければならない。山といってもヒマラヤ山系である。機体は18人程度しか乗れないプロペラ機で私は一番前の席に座った。操縦席が丸見えでパイロットはジーパン姿。腕に彫り込まれた刺青が妙に生々しい。去年の夏、航路は違うがルクラ行きプロペラ機が落ちて日本人1人を含む14人が亡くなっているのだが‥…。ほんとにこんな古くさいプロペラ機で大丈夫か?と本気で思った。
しかし機体は蝶が舞うようにふわりとヒマラヤの上を飛んだ。眼下に見えるのは青々しい森と河と田園だ。他には民家も見えない。後で聞いた話だが、そのとき築地先生も前の座席にいて、機体がジュムラの滑走路を一発で捉えたとき、刺青パイロットはガッツポーズをしたらしい。さすがネパール、刺青万歳だ。刺青ごときでパイロットの尊厳を疑った私が悲しい。
ジュムラから歩いて4時間
泥土の中で住民はサンダルで涼しく歩いていた
ジュムラに足を踏み入れると乾燥したさわやかな高原の風が吹いている。ガンジとはまったく違う風景が展開している。標高2300メートル。ヒマラヤにやっと来たという実感が湧く。
しかしジュムラに着けたのはいいが、到着が遅かった。村まで車で行けるわけではなく、ここから徒歩で約4時間。ポーターに荷物は担いでもらうが、出発出来たのは3時半を過ぎていた。距離にすると約15キロほどだが、主に登り傾斜であることから夕暮れまでに着くのは絶望的だ。まあここまで来れたということでゆっくり歩を進める。ヒマラヤは山が急峻だ、屹立していると言ってもいい。ついでながら大麻草もそこら中に生えている。思わずポケットにではなく写真に収める。
雨期のせいで遵は水たまりが多く泥土状態で歩きづらい。一本道で分かりやすいが傍を流れる河の流れは急で、しかも雨期で水かさを増している。ガレ場には朋れないように石が敷き詰められている。ふと後ろから若いネパール女性が涼しい顔で歩いてくる。サンダル履きにハンドバッグを手に持ち、軽々と私達を追い抜いていく。水たまりもわけなく見事に避けて、しかも歩くスピードは変わらない。さすがだネパール。別にヒマラヤ登山をしているわけではないので、かれらにとってこの辺は普通にサンダルであることを悟った。かたや新調したばかりの私の登山靴はもう泥土でしどろもどろだ。
明日はジュムラで祭りがあるということで、村から歩いて下山してくる村人が多い。多くの村人と行き違った。その中でピカイチだったのは、雨で道路が寸断されているのにも関わらず、バイクで音楽を大音量で流しながら後ろに可愛い少女を乗せて下ってくる寅年と出会った。断っておくがここは山道だ。しかも所々石が崩れて、まことに通りにくい。そんな中少女を乗せて、音楽を流しながらバイクで降りてくるネパールの青年。やっぱりネパール、あっぱれだ。
着いたら姉妹校は休校だった
ディリチョール村の宿泊所に着いたのは昨夜の8時ころだっただろうか。完全に闇に包まれた中で、懐中電灯を照らし、泥土の海を悪戦苦闘してようやく研修所に着いた。到着しても電気は通じてないので、夕飯を済ませると早々に寝袋に転がりこんだ。
翌朝、宿泊所の外に出て初めて自分がどんなところに立っているかが分かった。思わず「絶景!」と叫んでしまった。峻険な山々が雲海の上に屹立している。何か身の引きしまる荘厳な風景だ。日本の富士山はどこか優美な曲線をしているが、ここのは稜線が短く、山々が峻厳なのだ。富士山が優美で女性的なら例えると弥勒菩薩だ。でもここの山並みは屹立しているだけに男性的で荒々しい、巨大な怒りの仏像ではないか?。厳格で近づきがたい山並みが永遠に続いている。飛行機を4回乗り継いだ意味がここで初めて分かった。
ではさっそくここから歩いて30分の姉妹校リンモクシャ校に行こうと思ったが、今日はお祭りのために休校だという。出鼻をくだかれてしまった。そうなのだ今はお祭りシーズン。こちらが甘かった。そういえば昨日多くの村人はジュムラのお祭りで下山していたのではないか。ネパールは太陰暦でお祭りなどの休日を決めるので日本では予想が出来ない。ということで私達は日がな一日優雅な洗濯日和となり、隊長は目の前の3800メートルの山に単独行にチャレンジした。この頃私達も完全にゆったりと流れるネパール時閻に慣れていた。考えてみると日本から姉妹校に出会うまでに成田から5日を要したことになる。
ディリチョール村は再生可能エネルギーを採用していた
ディリチョール村の標高は2600メートルである。言わば高地である。8月の時期だと夜は10度前後に下がる。村の住人は水はヒマラヤから流れる水を飲んでいる。我々もガンジまではミネラルウォーターだつたが、ディリチョールに来てからは買うお店など近くにはないわけで、その水を飲まざるをえない。しかし飲むことによって体調をくずしたり、下痢をするということはなかった。多少小さなごみが混じることがあったがホースの出口にハンカチを結べば閻題はなかった。ヒマラヤ水はおいしい。
トイレも研修所に今までなかったらしいが新しくトイレがふたつ設皿されていた。ネバールのトイレは便器のそばにバケツと手楠が置いてあり、大きい方は手桶を使って左手で処理をする。インドなどに多いスタイルだ。だからトイレットペーパーは基本的に使わない(使う場合は便器に流すと詰まってしまうのでゴミ箱に捨てる)はじめはかなり抵抗があるかもしれない。されど慣れとはおそろしいもので、空気が乾燥しているからすぐに下着は乾き、これが憲外と快遍だ、と私は思う。右手で食べ、左手で処理するという両手の役割がはっきり区別されている。トイしの自然ウォシュレットを最初に発見したのは日本ではなくインドかも知れない。
ところで村の煮炊きはかまどを使っていた。かまどは鉄またはコンクリート製が多い。かまどの最初の燃やし方を見ていたが、うまいものですぐに薪に火がついた。ディリチョールに滞在していたとき民家に呼ぱれて朝食をごちそうになったが、かまどで作る炊きたてのネパール米はほんとうにおいしい。ジャガイモもかまどの脇において焼くのだが、甘みがあってホクホクしている。食事もいろりを囲んで食べるスタイルだ。食器はかまどの隣にきれいに並べられ、土で作った貯蔵庫も清潔感があった。冷蔵庫はないが朝、畑で取ってきた野菜やジャガイモをその場で調理してその日に食べる。実にまあ合理的だ。究極の自給自足だろう。
しかし、よくよく考えると日本でもおよそ江戸時代から昭和初期頃まで同じように薪を火に煥こし、かまどでご飯を作りいろりを囲んで食事を取っていた。そう考えるとその頃の日本の米で作ったご飯は、今より確実に美味しかったのかも知れない。
話は違うが、ディリチョール村の屋根を見上げるとほとんどの家の屋根に小さなソーラー発電パネルが殼置されていた。これにはおどろいた。大量生産・大量消費から最も距離をおいた究極の低炭素社会のディリチョール村にソーラーパネルが……。まさに異様な風景だった。この「尭全循環型自給自足村Jであるはずなのに何故これが?
隊長に尋ねたら2年前にはなかったという答え。ポビタさんに聞く「昔はディリチョール村も電気が通っていたのよ。でもね支配していたマオイストたちが去るときにここの発電所を破壊していったのよJマオイストたちもむごいことをしたものだ。彼らは基本的に農民の味方だったのではないか?破壌された発電所を再び作るとなれば莫大な貫用がかかる。政府にも手当するような予算はないのだろう。仕方なく村人たちは決して安くないソーラー発電を選ぶしか選択肢はなかったのではないか。ごちそうになった民家でもソーラーパネルが付けてあり、灯りをともしてもらつたがうっすら明るいくらいで、他の電化製品を付けると、とても対応出来ないくらいのひよわな明かりだった。
2011年4月4日月曜日
カルナリ報告 第4報 ティルクの養豚プロジェクト始動する
1カ月半振りに帰国しました。現地のニュースでも概要は聞いていましたが、想像を上回る震災被害
に驚かされました。
さて、ティルクのユースクラブ員を相手に養豚技術の講習会を開いたのが丁度1年前でした。
今回は1年経った今でも意欲を持ち続けているメンバーが居たら、いよいよ事業導入に向けて
飼育設備や子豚買い付けの準備を進めようということで現地に赴きました。
行ってみて先ず驚かされたのが、ユースクラブでは既に子豚の買い付けを始めていたことでした。
オス、メス2頭ずつの子豚がクラブ員の住居で飼育されていたのです。彼らにとっては初めての
ことであるにも拘わらず、その決断力や実行力には感嘆するとともに敬服させられました。
また、プロジェクトへの参加希望者は、昨年の7人から9人に増えており、自分の住まいに飼育場所を
持たない人も居るので、共同で利用するオス豚や、その種付け場、安全な分娩設備を備えた共同農場を
建設することになり、その青写真を描いて指導するとともに、建設や買い増しする子豚導入に必要な資金
の不足分を援助してきました。
初夏の頃までにはこれらが完成し、本格的な飼育や生産が始まることが見込まれますので、楽しみに
見守っていきたいと思います。
なお、養豚プロジェクトの成功のためには、同時にそのエサを確保するためにもサツマイモの作付け
拡大が必須の条件であり、そちらのプロジェクトも必ず成功させなければならないと考えています。(染井)
2011年3月30日水曜日
カルナリ報告 第三報 ジュムラからカトマンズに戻った
<ディリチョールは本当に遠い>
大げさではなく、本当に今回は命からがらディリチョール村に行き、帰ってきたとう言うのが、正直な実感
である。
というのは、飛行機の国内線の料金が3月から35%値上がりした。ところが、何故か確認できていない
が、ネパールガンジとジュムラ間の運賃だけが50%の値上げになった。そのことに村人が怒り、特に女性
が頑張り、ストライキを断行した。そのために、我々が乗ろうとした3月5日からストライキが始まり、ネパー
ルガンジ帰ってきた3月22日に1便飛んだとのこと。我々の行き帰りと運命を共にしたストライキであった。
そのために、行きも帰りもジープをチャーターせざるを得なかった。片道400キロ、21時間。トイレ休憩と
簡便な食事時間以外は、乗りっぱなしである。ドライバーは、一睡もしない。ところが、帰りの若いドライバー
は寝ながら運転をしていたようだ。私は寝ていたので後で聞かされたが、突如スピードが落ちてのろのろ寝
ながら運転をしているので、起きている同乗者が、頭から水をかけたり、耳元で話しかけたり、寝ないように
頑張っていたようだ。朝、お茶を飲みながら聞かされてゾッとしたが、知らぬが仏。
21時間の道のりの4時間足らずが舗装道路で、後は落石、砂利道、岩場、砂道、急カーブなど悪路の連
続であった。その上、インド製のジープはクッションが悪く、さらに床が穴だらけで排気ガスが充満する最悪
の21時間であった。往復42時間の地獄であった。唯一、ジュムラ近くの(車で1時間、徒歩5時間)硫黄温
泉で疲れを洗い流すことが出来たのが、何よりの至福であった。
<ビスターレの国であるが、取り組みが「風」の如く速やかであった>
サツマイモのプロジェクトは、ティルク村のユースクラブが全力で取り組むことになった。というのも、豚の
飼育を希望する青年9人が、豚の成長にサツマイモの栄養が欠かせないことをそれなりに了解したからであ
る。
昨年、一昨年とサツマイモの苗床を作るために、牛の糞と乏しい堆肥をせっせと持ち寄っていたのに、
今年は何度持ってくるようにと促しても、誰も持ってくる気配がない。仕方なくあるものでやるしかない。しか
し、発行する素材がないのに、苗床の温度が上がるわけがない。2度、3度とやり直さざるを得なかった。
後で聞いたところ、乏しい肥料は大半畑に使ってしまい、持って来たくても物がなかったとのこと。肥料の
本当に乏しいところである。環境に応じた方法を考えない限り、教科書どおりにやろうとしても、所詮無理な
話である。
今年は、飛行機のストライキで、村での滞在が減り、肥料事情の悪さがここまでひどいとは理解していな
かったので、別の方法を提案したり実行する時間がなかった。
�来年は、秋に少ない落葉樹ではあるが、山の落ち葉を集められる限り集め、堆肥置き場(苗床)に山積
みにしておくように指示した。
�同時に、万が一のために、ビニールのトンネルを柳の枝で作り、地温を上げることも伝えてきた。
今年は十分に温度が上がらず、発芽が遅れるかもしれない。それをカバーする手は打っていく予定である。
日本から技術者派遣をすることは困難なので、知り合いのネパール人に依頼することができた。移植時に、
肥料を作り、畝を作り、移植方法を一通り教えてもらうことにした。
昨年のサツマイモの収穫は、8キログラム。期待していたよりは遥かに少なかったが、ともかく収穫できた
ことが目出度い。というのも、9月までは気候もそれなりに順調で、大きく育っていたが、これから澱粉を蓄
える10月に、気候が寒く、雨交じりで日照時間も極めて少なかったので、9月までの芋が日々腐りだし、
11月霜の降りる直前の収穫時には大半が腐り、8キロの収穫にとどまった。
しかも、寒さに弱いサツマイモを保存するためにいろいろ考えた末に、ジャガイモと同じように背丈ぐらいの
穴を掘ることを指示したのに、50センチにも満たない穴の中に、泥混じり状態で埋めてあった。無残なもの
である。8本以外すべて腐っていた。自前の種芋は8本。あとの60本は、ダマウリ(是松さん)から頂いた種
芋である。
来年こそ自前の種芋だけで、苗床を作れるようにしたい。そのために、移植の時には、何としてでもネパ
ール人技術者に挽回して貰いたいと、過分な期待をしている。来年の対策も大切であるが、今年の作付けを
何としてでも実らせたいと、ネパール人技術者頼みである。実れサガルカンダ!
(清沢)
2011年3月5日土曜日
ネパール報告 第2報
2月16日に当地に来て清沢さんの到着を待っていました。といっても2週間の間、
ボケッと待っていたわけではなく、10日間を使ってアンナプルナベースキャンプへの
トレッキングを楽しんでいました。初めて富士山より高い高度(4,103m)で寝たときは
激しい動悸で深呼吸をしながらあ、かろうじて2−3時間眠れるという高山病の初期症
状も経験できました。
今日からが本来の目的であるディリチョール入りですが、特に今回は将来の豚飼育
に備えた飼料基盤となるサツマイモ栽培の本格始動となるよう、苗床を作って苗の増
殖を始めることとしています。サツマイモは10アールあたりのデンプン生産量では最大
の作物のひとつでもあり、成長の旺盛なその蔓は家畜飼料に乏しい現地にうってつけ
の資源になるだろうと考えています。
また、子豚を導入して出産期を向かえた場合に備えて、安全にお産が出来るような
分娩設備を現地調達できる材料だけで工夫しながら作らせることも予定しています。
他にも味噌作りなどもあり、2週間という限られた期間なので、盛り沢山な活動計画
を果たして消化できるのか、心配な面も多いのですがどうなりますことやら。
(染井)
2011年3月4日金曜日
2011年 ネパール報告 第一報
初めて香港・ダッカ経由でカトマンズに来た。一日に15時間の旅は疲れた。
狭い座席にブロイラーのように食べて寝て、こたえた。夜の最終便のせいか、ビザ発行の列が
がらがらで助かった。いつもは誰か一人くらいは知り合いがいるが、今回は誰にも出会わなか
った。客引きタクシーの雑踏を無事に通過して、不思議なタクシーに乗った。後部座席ではなく、
前の助手席に乗るように支持された。
ネパールではよくある相乗りなのかと想像したが、宿まで誰も乗るものがなかった。シバのお
祭りとかで、ところどころに飾りつけが目に付いた。
翌日、カルナリメンバーの家畜専門家の染井さんと、いろいろ農業技術支援をしてもらってい
る農業のエキスパート(ヤギの会代表)の是松さんと、ディリチョールでのサツマイモ栽培、味噌
作り、豚飼育について終日話し込む。話を聞けば聞くほど、是松さんの技術は支援地でも成果
を出し始めている。是松さんの支援は材料だけではなく、技術そのものであるから、村人が技術
を習得すれば永遠である。サスティナビリティー(持続可能)そのものである。
カルナリも染井さんの技術を核にして、是松さんから支援してもらった技術を大切にして現地の
村人、青年団と共に、育て上げていく今回の訪問にした。5日、村を目指して出発。アクセス:
カトマンズ・・・・飛行機50分・・・・ネパールガンジ(1泊)
ネパールガンジ・・・・飛行機45分・・・・ジュムラ・・・・徒歩5時間・・・・ディリチョール村
(清沢)
2011年2月22日火曜日
ディリチョールの子供たちにライトを贈ろう!
電気の無いディリチョール村の学校で勉強する子供たちに、ライトを贈る活動をしています。
詳細はDreamEnergy のページで | ◎省エネ ◎環境に優しい ◎長寿命 |
2011年2月1日火曜日
NGO ネパールカルナリ協力会について
1991年5月から東京世田谷の私立日本学園の中学・高校生が地域のアルミ缶を回収して、資源リサイクルした収益金でネパールの子供たちの教育支援活動を開始しました。その後、生徒の活動を支え、ネパールの村の教育、農村開発の支援を行うNGO「ネパールカルナリ協力会」がOB、生徒の親、教員、地域の人々、賛同者と共に1992年3月に結成されました。
1994年12月、ネパール西部のカルナリ県ディリチョール村にリナモッチェ10年制の学校が完成しました。当初200人だった生徒も、2010年には800人に増え、教室、トイレ、寮も不足がちです。教育支援に加え農業自立支援に取り組み、自立できる農村開発を目指しています。
西ネパール。カルナリ県ジュムラ郡ディリチョール村。カンジローバ・ヒマールを背に首都カトマンズの西、直線で350キロにある標高2600メートルの寒村。宗教は土着宗教、ラマ教、ヒンズー教。雨季は5月から9月半ばまで。雪は12月から2月まで。雹は5月まで。
ディリチョールVDCは、ガンジス川の支流の一つチョーダビセ川に沿って9村(人口4500人)からなる。農産物は主食の米(赤米)、ヒエ、トウモロコシ、そば、チヌ、じゃがいも。野菜は少ない、カボチャ、ニンジン、キュウリ、など。耕地面積、技術共に不足。生産量も少ない。
村へは、カトマンズからネパールガンジへ空路50分、1泊、翌日ネパールガンジからジュムラへ空路50分。空港から村へ徒歩5時間の行程。
教 育 事 情
1994年に10年制の「リナモッチェ」セカンダリースクール(16教室、男女トイレ、水道他)が完成。2009年より「10年+2年」(テンプラスツー)学校になる。就学率、識字率、SLC(10年生卒業認定全国試験)合格率が上がっている。手洗い、つめ切り、洗濯などの習慣が定着している。基礎教育の拡充につれ、卒業後村を出て都会の大学に行きたがる傾向出始めている。学力とお金不足で、今はまだいないが、時間の問題である。同時に、就学率は上がっているが、高学年になるほど低くなっている。
今後の課題。学校卒業後、夢と希望と誇りを持って村で農業を引き継いでいけるように、学校教育でも「食える」農業技術、農業経営(マーケティング含め)を教え、経験させる必要があるとネパールカルナリ協力会では考えています。
2007年から千葉明徳学園がネパールカルナリ協力会会員として、教育支援活動に取り組んでいます。
援 助 活 動
<ネパールカルナリ協力会が行なった事業>
*16教室の校舎建設 *洗面所付きトイレ(男4、女3) *寄宿舎(8部屋・2階建)・40人
*15キロW水力発電設置 *保健衛生留学制度実施(年に2人、3年間)(留学生を保健衛生の先生として派遣10年間) *農業技術支援(サツマイモ栽培、野菜苗床他) *豚飼育法の研修
*その他
教育支援をベースに、村・村人の自立を目指す。
今後の課題。自給自足を実現出来るように、「食える」農業技術の普及。第二ステップ、換金作物の栽培、生産の計画中。集約農業を目指しています。
援助のお願い
現金収入の少ない村で、生徒たちの中にはノートやボールペンや通学服、靴を買ってもらえなくて学校に行けない子がいます。また、農業技術も不十分で食料事情も劣悪です。自給不足状態です。
ネパールカルナリ協力会の活動資金の多くは、会員の年会費と善意の寄付と事業収入(カレンダー事業、イベントでのネパールカレー販売など)によるものです。しかし、残念ながら現在の我われの活動資金だけでは、村が抱える問題を解決することができません。
村人が農業で自立できるまで、皆様のご協力、ご支援よろしくお願いします。
「スタディーツアー」へのお誘い
ネパールのこと、ネパールの人を知らなくてもネパール援助はできますが、カルナリ協力会としては、ネパールを体感して援助してもらえることを期待しています。
食事、宿、トイレすべて日本には劣る環境ですが、村人、生徒たちの笑顔、ヒマラヤの山・川・満天の星空、豊かな自然が心を癒してくれます。明日の活力をお土産に楽しいひと時をツアーで体験しませんか。(詳しくは、事務局まで)
会員・寄付の募集
☆ネパールカルナリ協力会では、今後も現地の村人、生徒たちにより良い援助を持続するために、一人でも多くの方々にご理解とご協力を頂きたく、お願いしています。
☆会員、一般の方々からの「寄付」をよろしくお願いします!
年会費:個人会員 3000円
団体会員 5000円
振込先 :NGOネパールカルナリ協力会
郵便振替:00130-8-333312
NGOネパールカルナリ協力会
名誉顧問 田部井淳子(登山家)
福中儀明 (千葉明徳学園理事長)
代 表 白川嘉道 (理事)
事務局長 清沢洋 (理事)
事 務 局 染井英夫(理事)、江守亜由美
鈴木道子、鈴木正和、
〒188-0014 西東京市芝久保町1-7-13-307
TEL / FAX 042-462-5770
e-mail xcyhj470@ybb.ne.jp (白川)
kiyo72@sea.plala.or.jp (清沢)
URL karnali-nepal.blogspot.com
2010年11月12日金曜日
サツマイモ栽培順調・・・?
収穫は11月丁度今頃ですから、追加報告があればと思うの は、通信事情の良い日本では常識ですが、そのようにスムーズに行かないのが途上国です。一日も早く、サツマイモの「豊作」の知らせが来ることが、待ち遠しい。
今年の夏は雨が多く、農作物にどんな影響があったのか、結果待ちです。雨の影響は、数年かけてせっかく作った車が通れる道路が、随所で崩落した ようです。人が歩くのも大変な個所がいく個所もあるそうです。3月にサツマイモの苗床作りに行くまでに、多少は修復しているのか気になるとこです。(清沢)
2010年度カルナリ協力会
10年9月号
お蔭様で、去る5月30日(日)午後、本年度の定期総会を無事終えることができました。
皆様のご支援・ご協力に、改めて厚くお礼申しあげます。総会の詳細については、別記の通りですが、当会が、その1992年の発足以来、事務態勢その他多くの弱点を抱えながらも、兎も角もその歩みを止めることなく、ささやかながら現地に何ほどかの足跡を刻み得て来たこと、そのなかでの一年の活動報告であることなど、汲み取って頂ければ幸いです。同時に、弱点、欠陥などのご指摘、ご助言などとともに、これからの方向についても、ぜひご意見など頂きたく、宜しくお願いいたします。
ネパールカルナリ協力会 代表 白川嘉道
総会報告
5月30日、2010年度の総会が、無事終了いたしました。
参加者少数でしたが、みなさんの熱心な議論のお陰で、是々非々、建設的な議論を通していい事業、予算を作ることが出来ました。以下、ご報告します。
2009年度の事業報告に続き、決算報告を説明し、2・3点の質問がありましたが、承認されました。会計監査の承認済。
(質問・①カレンダー収入に関して。カレンダー事業は単独会計で処理し、収入額のみ記載していることを、補足説明し納得了解して頂いた。
②繰越金について。通帳管理している代表から情報確認不足によるミス記載で、指摘を受けて訂正した経緯を説明し、参加者に納得了解して頂いた。
繰越金 1047105円を・・・・→129647円に訂正
2010年度の事業計画案は3点、議論の結果以下のように訂正され、承認されました。
① NKSSのセクレタリーのサラリー月3000ルピーを、1000ルピーに修正理由:必要は納得できるが、仕事がどの程度出来るのか未知数なので、1年間様子を見るということで。とりあえず、1000ルピー(約1350円)で。
② 年会費の改訂に関して。いろいろな会の年会費をみても、5000円は決して高くないが、提案されてすぐに改訂よりは、来年度から改訂することを折に触れて会員に伝え、理解を得たほうがよい。以上の考えから、今年度は従来通りで、次年度改訂の方向で会員の理解を得ることに決定しました。
③ 事業として、国際協力の日・10月2,3日(日比谷公園)ネパールカレーを作り販売することに決まりました。
④ 当会の名誉顧問、川喜田二郎・牟田悌三両氏が亡くなられ、現在田部井淳子氏一人になりましたので、会員でもある明徳学園の理事長・福中儀明氏に新名誉顧問に就任して頂くことが承認されました。
2010年度の「収入」に関して、繰越金の訂正、年会費ほかが違っていましたので訂正。
2010年度の「支出」もNKSSのサラリー訂正、ブタの頭数2頭(種豚)追加し、「2010年度予算」が承認されました。
※ホームページを充実させるために、2カ月に1度は更新できるように専属担当を、江守亜由美さんにやってもらえることになりました。ホームページに載せたいような写真や記事があれば、どんどん送って下さい。
※※ニュース担当も、新しい感覚で読みやすく、面白く、楽しいものになればということで、これも江守亜由美さんに担当してもらえることになりました。
<2010年度事業>
農業事業支援
1、子豚支援(1頭4000ルピーの半額支援)。ティルク村青年7人が飼育希望。飼育指導は染井さん。 2011年3月、子豚が生まれる頃に村に入る予定。
2、サツマイモの苗床。
3、ビニールハウスによる野菜栽培。青年クラブからの強い要望。実験的に希望者7~10人くらい支援。
4、実りに大切なリン酸肥料が不足しているので、牛の骨を粉にして使えるようにする。
5、ヒマラヤ保全協会との共同植林事業(技術指導はヒマラヤ保全協会)に向けて、ジャプナ村の人々と話し合い、植林の要望と協力を確認した。協力姿勢。積極的、意欲的。
6、学校で豚飼育の授業を行い、実際に飼育する。成長したら全校で試食するまでを、トレーニングする。 技術指導は染井さん。 栄養、現金収入、実学等を教える・・・
7、味噌作り(麹をネパールのダマウリ・是松さんのフィールドから分けてもらう)
8、乾燥野菜の技術指導
9、古代米(ジュムリマシー)の再生技術支援に挑む
10、温暖化に伴う冷害対策を指導できる技術者募集。
11、その他
教育支援
1、明徳学園の生徒交流
2、農業、理科実験授業予定 農業技術者募集
3、日本語指導・先生募集
4、夏には道路が出来て、車(トラクター)が村に荷物を積んでくるようになるらしい。
価値観、生活スタイルが急激に変化し、狂い始めることが容易に考えられる。
******どなたか!健康な価値観、生活スタイルを伝えに行ってもらいたい。(日本も不健康なところが結構あるので、上からの眼線ではなく経験者として伝えてもらいたい)
ヘルス
1、現地の手の届く範囲の健康を指導
2、トイレ、飲料水の普及
NKSSのセクレタリー採用の件
レポートを月に1度、きちんと報告する。
事業の指導、管理を出来る人。
日本語が出来る人。(明徳学園で3カ月間、日本語、レポート書きの研修をさせる)
ひと月1000ルピー。継続できる人。1年間様子をみて、判断する。
ハード支援から技術支援へ
<国内事業>
1、ホームページの充実(多くの人の意見を反映させる)、リンクを増やす。担当:江守
2、パンフレットの改訂
3、楽しいニュースレターを(若い担当者、新しい担当者の参加)担当:江守
4、イベント実施(10月2・3日、国際協力の日(日比谷公園)にネパールカレー販売)
5、スタディーツアー実施、得意分野での協力実施
6、カレンダー事業(担当:塚原)
7、技術研修への参加
8、ディリチョールのラムリー村以外の電気のない村々に、手廻し発電ライトを送る運動
を推進する。1人で1台分(11000円)援助するか、数人で1台分援助するか、
協力を呼び掛ける。(ソーラーパネル充電型14000円。手廻し発電・ソーラパネル
充電型18000円)。10分充電して、1時間点灯。フル充電で9時間点灯。(詳し
くは、技術者・鈴木さんのホームページを、http://www.dream-energy.jp)
9、その他
10年度会費改正について。2011年度値上げ実施に向けて、2010年度は機会ある
ごとに、会員に理解して頂けるように説明を繰り返す。
★コラム1★
カルナリへの農業開発支援について(その1)
(農業開発現地調査報告書「ディリチョールVDCにおける養豚成立の可能性
と課題」から) 会員 染井 英夫
総会資料(ニュース5月号)で現地調査の概要を報告しましたが、今号と次号でその詳細をNGO活動における農業開発協力に対する私なりの考えと合わせて書いてみます。
カルナリ地域のように、交通が不便で他地域から通信、経済の両面で途絶している辺境地にあっては一般的には、国家的プロジェクトや海外ODA資金による事業といった組織的な地域開発が入りにくいのが現実のようです。つまり、これらは多額の国費や税金が投入されることから、一定期間内に実効のある成果が見込まれなければならず、そのための基盤となるカウンターパートの組織力や技術水準など事業推進のための環境、条件が事前に整っていることが必要とされるからです。
これらの条件が未だ整っていない地域の農業開発では、先ずその基本的な環境条件を精査するとともに、例えば目的の作目を一部導入して技術習得させながら将来、大型の開発資金などを導入する際に必要となるカウンターパート組織の力量を育成していくことが大切だと考えます。したがって、そこまで先の過程を見据えながら地域と協働していく作業こそが私たちNGOにしかできない、そして期待されている役割ではないかと思うのです。
ディリチョールVDCにおける家畜飼養のようす
ディリチョールVDC(VDCは最小の行政単位、日本で言えば市町村)は9つの村(集落)で構成され、約800戸、4,500人が暮らしており、全戸を調査することは困難ですし、郡の畜産局でも正確な把握はしてないでしょうが、ほぼ全戸が農業を生業としていることから、概ね3,000頭の牛、山羊が飼養されているものと考えられます。
ディリチョールの位置する中央丘陵から北部山岳地帯にかけてのウシは、南部タライ平原の肥沃で広大かつ平坦な穀倉地帯のウシと違って、体の小さい在来牛がほとんどであり、その乳生産能力は日常我々が眼にする大型牛には遠く及びません。しかし、オス牛は農耕用として田畑の耕運(鋤起こし)に欠かせない存在ですし、メス牛は子牛を再生産したり、搾乳して貴重な栄養食品の供給減となっています。
|
ところで、ネパールではカトマンズ盆地や南部タライ平原においては在来牛にホルスタインを交配した大型の牛や水牛が利用されていることが多いのですが、丘陵~山岳地帯で飼育されている牛の多くはゼブ牛の血をひく小型の在来種です。
数頭ですが在来牛の体格を調査してきたので紹介すると、この村より低地で見られる水牛(バファロー)や乳牛と比べてその体重は目測で半分以下であり、群れの中で平均的な大きさの成牛の体長・体高を計測すると、それぞれ、オスが130cm・90~94cm、メスが113cm・88~90cmであり、体重は200kg前後のものが多く見られました。因みに、ホルスタイン種成牛(メス)の標準的な大きさである体高135~145cm、体重600-700kgと比べるとその小ささがよく分かると思います。この牛はゼブ牛の特徴として、両肩の肩甲骨に挟まれた背上部に「肩峰」と呼ぶ突起を持っていて農耕上、重要な意味をもっています。すなわち、耕作者は2頭並べたオス牛の突起に横木を掛け、これに1本の鋤を引かせて田畑を起こしています。
また、標高2,500m前後のこの村では山上に畑地や放牧地が多く、山腹に付けられた狭隘な山道を牛が往復する必要から大型の牛が使いにくいという自然条件もあり、この小型の在来牛が暮らしに欠かせない家畜としてほぼすべての家で飼育され、ホルスタイン種やジャージー種と交配された大型の牛は稀にしか見ることができません。
在来牛の泌乳量は1~2kg/1dayと大型のウシに比べて極めて少ないのですが、村人は大型種と交配して改良することにあまり意欲をもっていません。それもその筈で、運良くメスが産まれれば子牛が高く売れたり、将来の高泌乳が期待できますが、オスが産まれるとゼブの特徴である肩峰が小さくなったり、体格が大型化して農耕利用に不向きな体型になることから売れず、そうかといって法制度上、殺して食用にすることもできません。そのようなわけで小型在来種の血統が脈々と守られてきているというのが実態のようです。
一方、今回現地を訪れるまでは村内のブタの飼育に関する情報は全く無かったのですが、
2戸で3か月前に産まれたばかりの子豚(メス1頭、オス4頭)を入手して飼育していました。この2戸は初めてブタを飼育し始めたとのことで、1戸では健康に育っていましたが、もう1戸では離乳後の哺育が不十分だったらしく、相当な発育の遅れが認められました。前者の家(ゲストハウス)ではメスも1頭おり、女主人はなんとか繁殖させて増やしたいと考えているようだったので、産まれたらブタ飼育を希望している青年達にメスの子豚を分譲してやって欲しいと頼んだところ、快く了解してもらえました。
ただ、子豚1頭あたり4,000Rsという価格は、都市部の1カ月の平均的サラリーに近い額であり、いかにも高いと感じたが、彼女もその値段で手に入れたのだから仕方がないのかもしれません。最初の種豚の導入時には幾らかの資金援助が必要になるだろうというのが私達の感想でした。そして、これらのブタだけでは増やしていくことが到底無理なので、近郊の村からも導入する方策を考えなくてはなりません。
|
特に現地の村は標高2,500mもある高地ですから、種用の子豚もできるだけ標高の高い村から導入する必要があると考えられます。動物の高地適応性は種の間で異なりますが、慢性的な高地(低酸素)暴露により、ブタでは赤血球が増加し、著しい肺高血圧症を呈することが知られており、高地順応し難い動物種とされています。このことからも最初から高地で産まれた子豚を現地導入することが発育や繁殖などの生産性を確保する上で欠かせない条件だと考えらます。
そして、現地の村は交通不便地で他村とも途絶していること、また高地のため蠅、蚊などの衛生害虫が少ないこともあり家畜衛生状態が比較的高度に保たれている状態(これを清浄地域といいます)であり、大切な財産である家畜を守るためにはこれが維持されなければなりません。これに対し、南部タライ平原の一部ではマラリア原虫の存在がよく知られているほか、日本脳炎発生中という情報もあり、これらのことから、導入に際しては標高の高い近郊のジュムラ地域(海抜2,200m)からを考えるべきであり、われわれもこの地域内の養豚農家を探し歩いた結果、先述した村内のゲストハウスの他、ジュムラの町で見つけた3戸の農家から子豚を購入できる見通しがつきました。今後はこれらの農家とも相談しながら、導入の時期に合わせた生産、育成をお願いしていく必要があります。
地域の家畜飼料資源の実態を中心として、養豚事業導入の可能性と課題については次号以降で報告させていただきます。
★コラム2★
青年海外協力隊の経験から
会員 江守亜由美
私は、2007年から2009年3月までの2年間を青年海外協力隊に参加し、ネパールで過ごす機会を得た。今でもネパールのことをよく思い出し、またいつか必ず行こうと思っている。そう思わせる何かが、ネパールにはある。
私の仕事は、18校の小学校の巡回をしながら、特に算数の基礎力向上を狙った授業改善が仕事の内容であった。しかし、現場での経験がない私は、何をどうしたらいいか暗中模索の日々であったが、まずはネパール語を取得するために、積極的に子どもや先生とかかわりながらネパールの文化の中に飛び込むことが何よりも先決であった。毎日の繰り返しの中で、ネパールの人々が私を理解し、私がネパールの人々を理解していった。叙々に学校でネパールの先生方に日本の教え方を紹介したり、教え方を一緒に考えたりできるようになり、巡回校を集め、ミニ運動会等の企画・開催をするなどの活動もできるようになった。こういった活動は、もちろん1日や2日で築ける信頼関係ではなく、毎日短い時間でも顔を出し、話をすることを心がけ、山道を歩く苦労や、不定期なバスの悩み、ネパール人が楽しみにしているお祭りや行事、そういった学校以外のネパールも含め、理解しようとした結果であるのではないかと今は考えている。
辛いと感じたこともあったが、いつも「アユミ ミス!!」とまっすぐな瞳で話しかけてくる現地の子ども達がいたという原動力もあった。子どもは、どこの世界にいっても変わらず、かけがえのない存在である。
ネパールでは色々なことを考えさせられたが、特に援助や支援については自分の考えが変わったように思う。ネパールは、多くの国から援助を受けており、援助を受けることは、現地の人にとっても珍しくないことである。外国人=お金を援助してくれる、物をくれると思う人もいる。私の任地は、カトマンズから近い観光地にあり、観光客もよく見かけた。任地の学校の中には日本人の支援で建った学校もあったし、完成せずに途中の学校もあった。完成しなかった学校は、お金が不本意に使われてしまったようだ。どちらも、人の善意からの行動であったはずなのに、結果が異なっていた。それは、現地の人々が本当に必要性を感じて、自分達から積極的に意図を理解し援助を受けているかどうかによるのかもしれない。
|
そこにあって、学校にパソコンがあっても結局は使えず、子どものためにはならない。私は貧しい国の子ども達のために何かしたいという思いで協力隊に参加したが、貧しい国であっても、私が接したネパールの人々の心は決して貧しくはなかった。むしろボランティアとして働いた私のほうが、大切なものをたくさんもらって帰ってきたのだ。
現地の人のために本当に役に立つとは、どういうことなのだろうと毎日考えさせられた2年間であった。大切なのは、物を与えることでは決してなく、現地の人と共に現地にあわせた方法を編み出して行くことなのだと思う。
私は今、日本の教壇に立っている。現地では、自分の不甲斐無さも感じ、役に立つためにはもっと自分を高めなければならないと感じた。ネパールでもらったたくさんの恩を、いつかまたネパールに返していきたいと強く感じている。カルナリ協力会の現地に合った方法を模索していく姿は、とても勉強になり、参加できて本当によかったと感じている。これからも、自分ができる活動を継続していきたい。
|
|
★最近の出来事と活動紹介★
ガネッシュ・タマン ネパール大使との交流
|
日本にいながら、ネパールの空気を感じるような、ゆったりとした時間を過ごさせていただきました。
タマン大使は、大使という立場であっても、とても気さくな方でネパールや日本のことについて、リラックスした雰囲の中、お話しすることができました。今後もカルナリ協力会の活動などでも、良い関係を築いていければと思います。
写真から、アットホームな感じが伝わるでしょうか??
カレンダー事業、 完成間近!!!
毎年、ご好評いただいているカルナリ協力会のカレンダーを今年も着々と準備しています。
会員の塚原さんを中心にカレンダー事業実行委員で、写真家の有賀正博さんの多数ある素晴らしい写真の中から選定を繰り返し、デザインを決定いたしました。9月20日過ぎには印刷が終わり、完成品を皆様にお届けできるかと思います。カルナリ協力会独自のカレンダーですので、ぜひぜひお知り合いにも宣伝していただければ幸いです。カレンダー事業の収益金は、カルナリ協力会の活動資金としてネパールで有効に活用させていただいております。
カレンダーを置かせていただけるお店などのご紹介も、お待ちしています!!
★現地の近況★
ティルク村・パドマ事務局員からの報告 6月11日
(翻訳・クリシナさん)
(Nepal Karnali Support Society からの報告)
A.最近Dellichaurで行われているプロジェクト
1.Dellichaur 診療所のところに出産小屋を作るのに材料集めています。これの費用は3600000ルピーです。
2.また近くに家畜関係のオフィスも作られています。材料集めているところです。費用は110000ルピーです。
3.パタラシVDCにも一つ水力発電の建設中です。1,2ヵ月後完成予定。
4.ジャフナ村へつり橋を建設中。工事はうまく進んでいる。
5.ティルク村に道路を作り中。VDCから500000ルピー出してもらっている。
10日以内に仕事終わらせるのにティルクとジャフナの人たちが一生懸命です。
6.同じようにほかの村の開発にもVDCがちからをいれています。それについてはまた報告します。
植えたサツマイモはうまく伸びています。5月はじめに茎を切って栽培する予定です。
2.豚飼育についてと牛骨の水車小屋の件(見積もり)
豚飼育について今も私たちは相談中です。大体の順番を決めているところです。
ユースクラブのみなが是非豚を飼おうと張り切っています。仲間は6、7人ぐらいいます。染井先生からいろいろと教えていただいてよかったと思っています。ティル
ク村の青年クラブは、この間森のいらない木を抜きました。11人で500本。
牛骨の水車小屋の件(見積もり)
1.屋根のトタン10枚 10000ルピー
2.タンクのためのセメント1袋 2100ルピー
3.石 2500ルピー
4.水引くパイプ5メター 800ルピー
5.ドアーのための板2枚 800ルピー
6.水車ーーーーーーーーー 1200ルピー
合計 17400ルピー
この金額を私たちはもっていません。出してほしいです。私たち労働はやります。 事務局のPadamより
≪明徳学園のネパールだより≫
8月21日、ネパールガンジからジュムラに飛ぶ予定が、例年にない長雨続きのために、2日間フライト待ちしたけれど、雨がやまずジュムラ行きを断念。例年38度、40度のネパールガンジが27度とのこと。しかも、1週間もフライトキャンセルが続いたという。異常気象のために、ディリチョールでの予定がすべてキャンセル。参加者たちの村、村人との出会いへの期待が実現せず、残念でした。是非、次の機会を期待しています。
カトマンズからバスで行ける通訳の村の学校で、各自準備してきた授業、イベントを実践してきたとのこと。ネパールのローカルでの体験をしてきたことは、ディリチョールとの比較をするうえで、よかったという感想のようです。
ディリチョールの学校、村人から、明徳学園のメンバーと会えなかったことは、とても残念でしたという連絡が来ています。行きたくても行けない、途上国の僻地の過酷な現実です。
❆❆❆ 編集後記 ❆❆❆
今回、初めてのニュースレターということで、読みにくい部分もあったかと思います。
まだまだアイデアなども少なく、手探りで作業を行っております。会員の皆様の顔が見えるようなニュースレターが作れればいいなと思っておりますので、ぜひぜひアイデアや、寄稿をお待ちしております。私の方からも、お願いすることがあるかと思いますが、その際はご協力よろしくお願いいたします。ホームページの方も、少しずつ勉強しながら充実させていきたいと思いますので、ご意見等頂ければと思います!!
グローバルフェスタに参加
10月2・3日、外務省・NGO・・・主催の
「グローバル・フェスタJAPAN2010」(日比谷公園)に参加
16年ぶりに参加しました。以前は展示だけでしたが、今回はネパールカレーの出店も出しました。会員のネパールレストランのオーナー(アニル・シャキャさん)の好意、協力で美味しいネパールカレーを4人のコックさんが作ってくれました。不慣れな販売でしたが、会員スタッフが頑張り200数十食ほど売ることが出来ました。目標の半分で残でしたが、スタッフの団結、やる気、チームワークが形成されてきた感じです。来年は一層頑張ろうという意気込みが出てきました。
ネパール支援の資金、来年の売り上げが楽しみです。
オーナーの薫陶の下、4人のネパール人コックさんたちは、ネパールに届く支援金に感謝し、愚痴もこぼさず一生懸命に頑張ってくれました。
2日間の来場者数が、11万人弱とのこと。国際協力に関心を抱く多くの
人々がいることに、ほっとした。われわれも、ビスターレ着実に新たな一歩を!
(清沢)
2010年6月11日金曜日
総 会 資 料 2010年5月号
代表あいさつ
白 川 嘉 道
皆様には、日々ご健勝でお過ごしのことと存じます。
お蔭様で、会も順調に年間の業務を進めてまいりました。今年も、現地ネパールに二度清沢事務局長が出張しましたが、回を追うごとに、支援・協力の輪が確実に広がっています。詳しくは総会席上でご報告します。また、直接事務局に対する会への問い合わせもかつてなく増え、有難いことと思っています。
カレンダー事業について、今年もご好評を頂いていますが、部数の伸びについては問題を残しました。これらについても、ぜひ総会の席でお意見など頂きたいと存じおります。
本年度の総会を、下記によって開催いたします。上述の件はもとより、ぜひ様々なご意見、ご要望など承りたく、多くの皆様のご出席をお願いいたします。
2010年度 総会案内 終了後・懇親会
日 時:5月30日(日)、1時~4時
場 所:世田谷ボランティア協会(三軒茶屋)
世田谷区下馬2-20-14、 ☎(5712)-5101
アクセス:渋谷駅より田園都市線で
「三軒茶屋駅」南口下車徒歩8分
総会式次第
1 代表あいさつ 4 10年度活動案
2 09年度活動報告 5 10年度予算案
3 09年度決算報告 6 諸報告、議論、閉会・・・懇親会
① <209年度活動報告>
4月21日 事務局会議
5月20日 ニュース発行
24日 カレンダー制作会議(写真選び)、制作・塚原さん担当
6月14日 総会(三軒茶屋)、懇親会
19日 活動資料展示(千葉市民コミュニティーセンターで、~8月31日)
7月4・5日 4N総会(JICA広尾)に参加
10日 名誉顧問・川喜田二郎先生逝去、弔電送る
17日 カレンダー制作会議
8月 1日~31日 ネパール・ディリチョール支援。①サツマイモの生育確認②発電水路水漏れ調査③学校施設の点検④NKSSと会議⑤石田ドクター秋来診の件伝える⑥ヒマラヤ保全協会事務局長田野倉さん、植林調査に来村⑦
25~27日 第5回「カトマンズ会議」(ネパールNGOネットワーク主催)
10月15日 カレンダー委託販売(新宿複数書店訪問)
11月 4日 ニュース発行
28日 カルナリイベント・世田谷ボランティアセンターにて(ネパールティー、サモサ、ロティ)、カルナリの事業展開・方針自由放談。新メンバー、ネパール人参加。
2月15日 タマン・ネパール大使を迎えて「新年会」(経堂にて、16人参加)
3月 1日(清沢)ディリチョール支援、サツマイモの苗床作りその他。4月18日帰国。
協力者・宮本さん(シニアボランティア・ヘルス専門家)、ヘルスポストを通して村人の健康、栄養、医療の観点から調査、報告。22日まで。米川さん(同志社大学院)、通訳協力と村調査、16日まで。
電気技術者鈴木さん発明の手動発電機・ライトを、電気インフラのない村、12時間の停電のカトマンズ・都市周辺での普及を目指して、ネパールへ。
23日から31日まで。
4月 2日 (染井)ディリチョール支援、ブタ飼育についての講習、ティルク村のユースクラブ対象に。~28日帰国。 (通訳・ガネシュさんの協力)
②<カレンダー事業>
2010年度版カレンダー制作、4回目。4Nの事業として3回目。初回より写真家有賀氏の写真提供の協力のお陰。制作は今回から、塚原明子さんの協力による。評判はまずまず。販売は、今年度も小森さんの熱心な協力により、350部くらいは売れました。残部100部前後。完売協力、よろしくお願いします。1部・500円
③<千葉市民コミュニティーセンターで活動資料展示>
6月19日~8月31日
当センターから、展示要請の連絡があり、快諾。明徳副理事長・鈴木さんの協力により、
カラープリントの写真をプリントアウト。写真のキャプションと村の実情。国際協力の必要性と問題点を記載。(写真を直に貼ったが、次回からはラミネーションしておけば、何度も使えることをネパールで教えてもらいました?)。反響のほどは、未確認。
④<09年度ネパール事業>
教育 薬(基礎的薬)下痢止め、回虫、目薬、皮膚病、怪我・傷、爪切り、風邪薬・解熱剤、
耳、腹いた、歯痛、火傷など(ラズシン先生・理科、ネパールガンジ出身)
水タンク(校内用、500リットル)
学校外周の石垣
女子寮の屋根トタン修理 (旧寮修理の予算で実施)
農業 1、サツマイモ・野菜のポットの苗床作り(担当清沢)。
2、牛の骨(リン肥料)を粉にする水車小屋建設中
3、サツマイモ研修3人(ダマウリへ)。6月14日から1週間。1人12000Rs
(10年度予算、事業として実施)
個別実験から技術研修会(豚の飼育研修会。ティルク村ユースクラブ対象。担当染井)
4、米ぬか液肥作りのトレーニングと播き方の講習(担当清沢)。
5、ブタ飼育の講習(担当染井)
6、ヘルス(担当宮本)、その他(ディリチョール支援活動報告を参照)
未実施
教育 図書費 (図書室設置できず、次年度へ)
トイレ増設 (大使館の草の根支援無償申請で増設検討)
農業 農業専門家派遣 (10年3月は、都合にて同行できず)
味噌作り (来年10年度・11年3月に延期)
野菜の乾燥保存食 (サツマイモ、保存するほどとれなかった)
⑤<新年会・大使を迎えて>
11月のカルナリのイベントにゲストとしてご招待したネパールのタマン大使が、公務で
急きょ欠席されたので、新年会に是非ご出席頂けるように、大使館に表敬訪問しお願いしてきました。当日、新会員のもと青年海外協力隊の江守亜由美さん通訳で、大使との会話にも不自由なく、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。大使がカルナリ地域と言う辺境で20年支援し続けているカルナリ協力会に感謝を述べられると同時に、興味を持たれたようです。今度千葉に是非行きたいということでした。(私がネパールに行っている間に、江守さんのメールに清沢さんはいつ帰ってくるのか。千葉に行くというメールが入っていたそうです。)5月中に実現したいと、思っていますが・・・。
⑥<ディリチョール支援活動報告>
いろいろな方々の協力により、多くの種を播いた。多くの成果が期待される。活動報告をします。(10年3月)
1、宮本さん(JICAシニアボランティア・ヘルス専門家)により、ヘルスポストから見たディリチョール村の栄養、健康、衛生状態、病気の状態と今後の対策の報告を、カルナリニュースに発表してもらうことになっています。
2、染井さんがティルク村のユースクラブのメンバー(7人)を対象に、ブタ飼育の講習を行い、2011年3月から7人が飼育することになり、来年指導に行ってもらうことになりました。子ブタ1匹4000ルピー。半額支援、総会で検討。
3、昨年に引き続き、サツマイモ・野菜の苗床作り。ティルクの青年たちによる苗床作り。その後、模造紙とラミネーションを使って3回、15人から25人の青年たちに畝作り、米ぬか液肥の作り方と播き方(1Mに1リットル)、芋づるの切り方(9葉)、植え方、貯蔵の仕方などの講習を、是松さんに教えてもらった通り、私が行いました。4月には、葉が出ていました。ほっとしています。
4、是松さんが支援している村(ポカラ近くのダマウリ村)へ、サツマイモの研修に3人派遣する。6月14日から1週間。畝の作り方、ツルの切り方・植え方、液肥の作り方、播き方のトレーニングを受け、各自200本のツルを買って帰る。3ヶ所を種イモの拠点にする。交通費1人12000ルピー支援。
5、牛の骨を水車で挽き、リン肥料にする。ティルク村の青年たちによる事業。上流からパイプで水を引き、水車小屋のタービンを回す工事中。粉ひきと同じ水圧で計算しているので、再検討するように指示。
6、ダルスープの豆を柔らかくするために、1日中煮炊きしているので、女性の労働軽減と薪の節約(森林保持)の観点から、同じダルでも、味噌汁であればお湯が沸騰すれば仕上がるので、労働軽減と薪節約になる。日本的ダルスープのデモンストレーションしたところ、6人の青年から好評を博し、7人が来年味噌作りに取り組みたいという。その後は自分たちが村人に教え、普及するという。来年、麹の確保が重要。
7、NKSS(現地村のカウンターパートのNGO)のセクレタリー(事務局員)を採用したいとの要望があった。村の青年のレポート(報告)能力を確認したところ、従来のNKSSのレポートよりよく、一定水準に達していた。単に月1度の事業報告に留まらず、事業推進のために指導、管理も担当できるのであれば、カルナリとしては助かるので、総会で検討したい。現地における日本語の通訳としても助かるので、明徳学園で3か月研修させ、日本語、レポート書きのトレーニングすることを提案。来年度実施の方向。カルナリでも日本語のトレーニングのサポートを考える必要がある。
8、ヒマラヤ保全協会との共同事業として、ジャプナ村での植林ニーズのアンケート調査の実施。建築材、燃料用、牧草、薬木。苗床炉の共有地、植林の共有地確保可能。水やりボランィア可能。ヒマラヤ保全協会に提出し、次の段階へ(申請書作り)。
9、リナモッチェスクールの修理申請計画(日本大使館の草の根支援無償・ネパールの学校、NGOが申請できる援助事業)。校舎・教室の内外の石と石の間の泥が削り取られたり、石が外されたり、かなり損傷が進んでいる状態。黒板も書き辛いので、ホワイトボードに変更。トイレの増設、教室の増設、水源から水道のパイプの埋設、コンクリ。寄宿舎(生徒・先生)の修理など。
10、通訳のボランティアをしてくれた(感謝しています)同志社大学院生・米川安寿さんより、ディリチョール報告届く予定。
11、2011年3月、学校で中学生を対象に、ブタの飼育教育を1日2時間、週に3回を2週間行い、その後豚を飼育し(餌を全校生徒に手のひら1杯持参させる)、1年後、全校生徒で豚肉を食べる。豚肉のおいしさを食べて教え、村での飼育を普及させる。(担当染井さん)
3月中旬までのディリチョールは、毎日カンジローバーヒマールがはっきりと見え、夏の村とは別のような素晴らしく美しい村でした。山小屋もガスコンロが入り、炊事が大変便利になり、私は初めて圧力なべでご飯を炊くことが出来ました。やってみると、簡単でした。持参した味噌で毎日、味噌汁を作りました。唯一の御馳走でした。4月13日、ネパール暦の大みそかで、村人が祝っていました。初めての経験でした。
(4月の通訳は、ガネッシュ・マガール青年実業家・ツーリスト会社経営。JECSカトマンズ駐在員。安いボランティア料金で協力してもらいました。感謝しています)
1、私の見た、感じたディリチョールVDC
―保健状況を通じてー
宮本 圭(看護師・助産師)
念願の西ネパール訪問がやっと叶いました。ネパールには他機関のボランティアとして住んだことがありましたが、西ネパールは全くの未知の世界で、着くまで想像は膨らむばかりです。…実際着いてみると、世界食糧計画(WFP)による道路の拡張整備、INGOの保健サービスなど、開発の波がここにも押し寄せてきていました。
医療職の視点から2週間の滞在での見聞や感じたことをいくつかの場面からご報告したいと思います。
1. 地域住民に最も近い医療機関サブ・ヘルスポスト
私の限られたネパール経験から、カトマンズ盆地を離れた地方ではヘルスポストやサブ・ヘルスポストが開いていることは稀で、スタッフが常駐していないことさえ少なくありません。ですから、サブ・ヘルスポストを訪問する際、診療していないだろうと秘かに思いながら行ってみると、一人の若い准看護師・助産師(以下、ANM)が診療していました。配属されて5ヶ月目のANMです。他にこのサブ・ヘルスポストには、医師補(以下、CMA)、もう一人のANM、BHW1名、AHW1名、Peon2名が勤務しています。私の2週間の滞在中一度も全員が揃ったことはなく、殆ど毎日この若いANM一人によって運営されていました。一日6時間診療するはずですが、実際開いているのはその半分の3時間から4時間。この状況をひどいというのか、まあまあ良しとするかは考え方次第ですが、私は細々とでも動いているのをみて、まずは一安心!しました。
では、この村人に最も近い、第1次医療機関サブ・ヘルスポストの利用者はどのくらいいて、どのような疾患・症状(本来は病名と症状名は区別されるべきですが、検査機器のないヘルスポストでの診断は疾患・症状が混在していることが一般的です)が多いのでしょうか?外来利用者は下の棒グラフにある通りです。4月・5月をピークに、乾季の10・11月に向かって減少傾向にありました。その理由として、年度初めの薬剤・物品の支給がある頃は、「薬が潤沢にある→住民が薬をもらいに受診する」の図式で、逆に薬が少なくなってくる年度末に向けて「薬がないので(サブ・ヘルスポストに)いっても仕様がない」の図式が成立し、外来受診者数の減少になっていると考えられます。8か月分の診療記録台帳からは、おおよその疾患・症状の内訳がわかりました。予想通り雨季では下痢性疾患、呼吸器系疾患が多く、乾季では呼吸器系疾患や発熱、頭痛が多いという結果です。そして、時期を問わずに、外傷が多いことも目に付きました。(写真1)
写真1:近所のけんかに巻き込まれて傷を負った
女性の消毒場面
ティルク村のサブ・ヘルスポストにはいくつもの課題があります。今後の目標として考えられることは、まず、継続して日々診療が行われ、村人から頼りにされる医療機関となること。そのためには、スタッフの高いモチベーションが必要です。今は希薄な村人と保健スタッフとの信頼関係の強化も大切な要素になりそうです。次に、スタッフの技能のレベルアップとヘルスポストの機能強化。そして、村人・保健スタッフに共通した「クスリ絶対主義」の価値観の変容のように感じます。課題は決して小さくはありませんが、改善への可能性も感じられたサブ・ヘルスポストの状況でした。
2. トレーニングを受けた村の女性の今…
ティルク村では以前サブ・ヘルスポストは機能しておらず、住民は医療サービスにアクセスできずにいました。そこでカルナリ協会は活動の当初、村の女性に保健に関するトレーニングを受ける機会を与え、その彼女達を中心に、村の保健衛生状況が少しずつ改善することを期待しました。6名を選出し、首都でのトレーニングを受けてもらったようですが、その後、女性達はどうしているのでしょう。私の関心事の一つでした。
村を歩いても、サブ・ヘルスポストへ行っても、学校へ行っても、その彼女達の誰一人に会うことがないだけでなく、噂さえ聞きません。思い切ってNKSSのリーダーに聞いたところ、返ってきた言葉は、一人を残して村を離れたというもの。対象であった女性達が若かったのでしょうか、ティルク村に殆ど残っていません。結婚をして近隣の村へ嫁いだ女性、首都でANMになった女性、等々。唯一村に残っている女性は、郡の教育事務所に雇われて、週1回学校で保健関係のクラスを持っているということですが、残念ながらカルナリ協会の学校保健プロジェクトとの連携はなく、どのようなことが行われているかは不明です。彼女達にとってトレーニングはどのような意味を持っていたのでしょうか…。
今後は、新たに村の女性を再びトレーニングすることよりは、現存する地域のシステム(サブ・ヘルスポスト)の中で保健衛生面への支援を検討する方が妥当であり、持続可能性があると感じました。具体的には、何とか運営されているサブ・ヘルスポストの機能強化や、ハード面からではない学校保健への支援だと感じます。学校保健では基礎的な衛生教育が不可欠ですが、それは洒落たトイレの設置や数の問題ではなく、例えばなぜ手洗いが必要かといった知識の獲得と意識の醸成であり、彼らの内部から起こる行動の変容です。少し時間がかかるかもしれませんね。
3. サブ・ヘルスポストとINGOの協働
サブ・ヘルスポストのついては前述しましたが、その役割は多様です。日常的な診療のみならず、予告なく訪れる国連関係者の指示に従い、後述の女性コミュニティ・ヘルスワーカー(以下、FCHW)に対してトレーニングをしたり、5歳未満児のヘルス・チェックアップに出張したり…。文句も言わず、突然の仕事をこなしていきます。困るのは、急にヘルスポストを閉められてしまう住民ですが、その点についての配慮は残念ながらありません。
3-1.FCHWのトレーニング
ネパールの保健制度には、医師や看護職といった専門職としての教育を受け、資格を有する職種と、その専門職を補強し、協働するべく後から作られたボランティア職があります。途上国では女性の健康問題が大きいことから、そうした母子の問題を軽減するために作られたボランティア職としてFCHWがあります。主な役割は、担当地域内を歩いて回り、予防接種や妊婦健診・施設分娩などに関する啓発活動です。実際に薬を投与したり、注射を打ったりする行為はしませんが、彼女達の活動は予防できる感染症を減らして乳幼児死亡率を減少させたり、栄養失調・体調不良児の早期発見や受診の勧奨、妊産婦健診受診や施設分娩への啓発など、決して小さくありません。
写真2:ヘルスポストのスタッフ(ANM)に 栄養の話を聞くFCHWら
ここデリチョール村でもFCHWの女性達に出会いました。この日は19名いるうちの11名のFCHWが出席(出席率約58%)して、「栄養」をテーマにした約1時間半のトレーニングが行われました。トレーナーはサブ・ヘルスポストのスタッフで、WFPが支援をしているようです。栄養を考えた食事の必要性、栄養不足になるとどのような症状・問題が起こるか、などを、いくつか質問を投げかけ、彼女達の知識を確認しながら丁寧に行われていました。ネパール人はこういう教育は実に上手い!
FCHWに選ばれる女性の年齢は様々ですが、私の印象としては自分の意見が言える、他の女性たちと積極的な関わりを持つことを嫌がらないようなパーソナリティの人が選ばれているようでした。彼女達は自分の村に帰ると、トレーニングで習った内容を、今度は自分がトレーナーとなって知識を伝える役割を持ちます。その報酬は年間2千ルピー。高いか、安いかは、彼女達の村での働き次第です。
物に頼らない、「人材育成」は地味ではありますが、時間をかけてその地に根付く支援のように思われます。一方で、開発分野ではボランティアベースの仕事の有効性を批判する声があるのも事実です。次回は、実際にこのFCHWらが自分の村に戻って、村の女性を啓発しているのかを、現場に身を置いて参与観察し、事実を確認したいと思います。
3-2.INGOによる5歳未満児ヘルスチェックアップと無料移動診療に考える
ある日、サブヘルススタッフに用事があり、立ち寄ると、何時もになく、人の列が出来ています。殆どが女性たちですが、中には高齢の男性もいます。噂で聞いていた、母子保健を専門とするヨーロッパのINGOによる無料診療の日なのでした。診察を受けに来るのですから、ここにいるのは病人、のはずですが、みなきれいな衣類に着替え、楽しげに談笑しています。私の印象は、まるで井戸端会議中みたい。診察は正しく診察室で医師により行われており、その診断に基づき薬が処方されていましたが、ここで行われるのはすべて無料。無料の診察、無料の薬です。ですから、これだけ人が集まって来るのです。勿論、日頃医師の存在しないサフ・゙ヘルスポストで診断がつかずに困っている住民がこの日を待ちに待って来るということもありますが、それはごく一人か、二人といったところでしょう。多くは「無料の薬」をもらいにやって来ます。ただでもらう薬、どのように使われるのでしょう。
もう一つのエピソード。別のINGOが行っている5歳未満児のヘルスチェックアップ(実は成長モニタリング)です。これは私の滞在最終日、サブ・ヘルスポストのスタッフと健康教育を企画していた日のことです。さあ、準備はバッチリ!今日は健康教育だ!と出掛けたところ、スタッフが申し訳なさそうに、「ディディ(年上の女性に対する敬称)、ごめんなさい今日、別の用事ができちゃった…」と。聞くと、そのヘルスチェックアップに出掛けるのだそう。折角だからついていくと、幼児教育のための教室?に集められた子どもが20数名。
INGOから送られてきたスタッフの指導の下、ヘルススタッフと私は順に子どもの身長・体重を測っていきました。記録中、ここは「何を書くの?」とスタッフに聞かれますが、私こそ聞きたい!INGOスタッフに聞いてもらちは明かず。幼児教育の先生?の女性は、計測が終わるたびに「それで何(の薬)をくれるの?」と聞きます。そうです、成長モニタリングを受けると、何かクスリをもらえると思っているようです。病気じゃないのに薬はだせない旨を伝えると、ちょっと恥ずかしそうに苦笑しています。きっと今まではもらっていたのでしょう。
また、この成長モニタリングのレポート用紙にはアドバイス記入欄もあります。でも、殆どが3,4歳の子どもです。どうやって、誰に、何をアドバイスしたらよいのでしょう。たくさんの疑問を抱えつつ、計測・レポート作成を終えた帰路。歩きながら、身長・体重の計測だけでは意味がなく、栄養状態の評価をする必要があること(そのための指標も必要)、そして、子どもの成長・発達については母親に指導しなくては改善がないことを、INGOスタッフへ話しました。一つ目の栄養評価をしていないことについては、「ネパ-ルはシンプルなんだよ」と。これは暗に、だから、測定だけで栄養の評価までしなくてもいいと言っているようです。二つ目の母親への指導に対しては、「そうだね、明日やってみるよ」と即答。そんな簡単にできるのなら、なぜ今までできなかったのか…きっと理由はあるはず。
この成長モニタリングの参与観察から気付いたことは、レポートのためのレポート作成になってしまっているということです。子どもの栄養改善が目的ではなく、援助団体にレポートを提出することが目的になっており、
写真3: 無料診療のために近隣の村から集まった
女性達。(サフ・゙ヘルスポスト前)
写真4: 村人には宝の山にみえるだろう、薬、クスリ、くすり…
そのデータを収集・評価することがINGOの目的になってしまっているのではないでしょうか。本来の目的は、子どもの栄養状態を知り、可能な改善策を取ることのはずなのですが。
今一度、2つの例について考えてみます。誰のための成長モニタリングでしょう。何のための移動無料診療でしょう。仮に、無料診療が住民の保健行動を助ける以上に、クスリをくれるという援助への依存を形成してしまっていたとしたら…考えすぎでしょうか。少なくとも、無料の診療には継続性も、住民自身が自分の健康問題を自主的取り組む行動を生み出すことは稀有ではないかと思います。お金を払って診療を受けるからこそ、真剣に次は同じ病気にならないよう、あるいは同じ症状を抱えないよう予防しようとしたり、早期に治療を受けようとするのです。どんなにクスリをもらおうとも、無料の場合にはこうした行動は起こりにくいと言われます。 保健分野における開発の課題をみたように思います。
たった2週間の滞在でしたが、百聞は一見にしかず。西ネパールの保健状況を現場に身を置くことで、貴重な学びをさせていただきました。
最後になりましたが、この村滞在の機会を下さいましたネパールカルナリ協力会、事務局長・清沢さんへ心より感謝いたします。また、今年の主な二つの試行プロジェクト“野菜プロジェクト・サツマイモプロジェクト”と“豚飼育のための講習会”が成功しますよう、心より願っております。
10、米川さんからの報告が届きましたので、添付します。
活動参加レポート(感想)
米川安寿
今回、カルナリという地に、足を踏み入れることがとてもうれしいと感じていました。
それは何故かというと、極西部山岳地域は一番インフラが整っておらず、一番貧困問題が深刻だと、本を読んで理解していたためでした。
なぜ一番貧困な地域に行けることがうれしいのか???これには理由がありました。私はここ3年にわたって大学で開発学を学んできましたが、「途上国の貧困」と称される「貧困」を、ネパールでなかなか目撃することができなかったからでした。
「ネパールはすごく貧困じゃないか?」と思われる方が多いのかもしれませんが、私にはなかなかそれが分かりませんでした。インドや東南アジアのある国々を訪れた時は一瞬でなんとなく貧しい気持ちになりましたし、アフリカを映像で見ていても、すぐにつらい気持ちになりました。しかし、ネパールに関しては、同じようなものが必ずしも感じられなかったのでした。私はカトマンズ・ジャパ・カスキ(ポカラ)・チトワン・ゴルカをそれまで訪問していました。特に、そこで小さな家に窮屈に住んでいる人、家が貧しくて家政婦をしている人などを結構見てきました。もちろん都心部のストリートライフを送る人も見ました。しかし、教科書から学んできた「貧困」が見えなかったのです。
何が私の中で違ったのか?長い間考えており、まだ完全な答えには至っていませんが、まず、人の目が学んだ「貧困」と違うのです。私は貧しいという人々に時に街を案内してもらったり、お茶をもらったりし、かわいそうな姿を見るのでもなく、お世話になったりしていました。ネパールの人々には貧困や迫害や剥奪で飢えきった心を訴えるような目が少ないと感じていました。インドや東南アジアでは乾ききった心を映しているような目、または生きるための差し迫った感じをよく見受けましたが、ネパールは少し違う感じがあったのです。だから、いくらその人が貧しくても、同じ人間として心が通う感じがありました。もう一つは、道行く人々の歩く姿でした。世界の途上国では、どんよりしたような目で歩き、宛てもないような、あるいは道端でただ座り込み、ただ時間を過ごしているような光景をよく見ましたが、ネパールではみんな早足で何かに向かっているように、そして多くの若者は友達と腕を組み楽しそうに、ときにはカップルで歩いているのです。その時一瞬「あれ?先進国の光景じゃない?」と思うのでした。また、盗難にあうこともかつてなく、「お金はいらないよ」といわれることさえもあったのでした。先進国では逆にそれもあり得ません。そういうわけで、国の空気感が、私の学んだ「貧困」国の空気ではない、何か普通の空気でしかない、そんな感じがしていました。
そういう理由から、私は「貧困といわれているネパール」を理解したいと、カルナリに期待していたのでした。
もちろん、貧困の側面については、たとえば政治の腐敗とそれに疲れきった人々の話も聞くし、社会的サービスのなさにも残念な気持ちでした。街の汚れも極限状態だと思います。またストリートチルドレンが4000人くらいカトマンズにいることや、その背景を本で読み、児童養護施設で生活する子供たちの生活など知人から聞いており、それなりに考えるところはありました。そういう理由から今回は、私はカルナリで「今度こそ教科書で学んだ貧困を自分の目で」と思っていたのでした。
今回はネパールカルナリ協力会の通訳として同行し、自分の現地調査も兼ねて、3月4日から14日まで同行させていただきました。10日間で、私にはある一定の結論が出ました。それは、「きっとネパールは教科書の貧困そのものではない」ということでした。
私が教科書などから学び抱いていた「貧困」のイメージは、薄暗く、汚れを落とす水がなく、苦しく、悲しい、そんな雰囲気に包まれている状態だったのですが、訪れたカルナリのジュムラにあるディリチョール村は偉大で大きな山々がそびえたち、そこに太陽が降り注ぎ、人がせっせと何やら荷物を運んで、馬やロバもともに歩き、家を建てる人や井戸端会議をしている人々がいる、そんな一見穏やかな光景がありました。
もちろん、生活用水の入手には重大な問題が確かにあり、学校も少なく設備もない。病院も確かにないし、食料もものすごく質素で、不足していました。物質的に楽な生活では決してありません。でも、やはり人々の心が乾ききって疲れきっているというのは本当に少なく、同じ人間として心が通うことができました。
当たり前のことかもしれませんが、ネパールを「貧困」という時、例えばアフリカのように宗主国に支配されたり、部族間衝突だったりを経験する中で社会が疲弊してしまった結果の「貧困」を想像してもそれは違うし、東南アジアのASEAN諸国のように急速な経済発展の中で取り残され、奪われ、見捨てられたような「貧困」を想像するのもおかしいし、ラテンアメリカの多くの国のように先進国から資源目的で支配されたり、政治も混乱して、一般の生活が貧窮するような「貧困」を想像するのもまたおかしい。ネパールには一種また違う「不足」があるのだ、そう感じました。
けれど、実際にはネパールも、そのような背景から発展してきた‘途上国感’や、先進国の決めた指標でアフリカやASEAN諸国、ラテンアメリカなどなど世界の国々と同じように図られ、結果、サブサハラアフリカと同じ「世界最貧困国」になっています。これで実際、多くの人はネパールを知らない場合には他の国々と同じイメージで「貧しくてかわいそう」になっているのだと思います。そしてきっと国連や大きな国際協力機関で働くエリートは多くが何も知らずにネパールも「貧困国」として同じレッテルを貼って巨額の支援をしているのだろう、そう思うと支援のやり方を考えなくてはいけないと思います。
そんな中、今回のように草の根NGOに参加するのはとてもいいものでした。今回も、現地の人と同じ人間として毎日ともに考え、一歩でも自分たちの何かを良くしようと考えるのは、とても真実味があってよいものでした。
もちろんそれも単に綺麗ごとではなく、日本人の求めるような責任感がないことや、マネージメント能力の不足、それによる全般的な進歩のなさにうんざりすることも経験しました。そして、それがネパールのある意味での進歩の遅さでもあることを、今回はよく理解できました。
先進国のようにガツガツとし、競争し、成長することはあまりにもストイックで悩ましいけれど、生きていくための絶対的不足を補う努力はあってもいいと思います(また差別など、人権的問題の解決も必要だと思っています)。NGOの国際協力はそれをしているから、私はそういう意味でのネパールへの協力は必要だと感じました。また都市部では、「政府があるならちゃんと機能せよ」とも思うので、政治的にはストイックに発展してほしいと思います。
今回、ディリチョール村の農業協力をメインに、教育協力、ヘルスポストの見学もしました。責任感やマネージメントの問題は大きく、せっかく作ったのになくなっていたり、壊れたまま放置していたり、機能しなかったりと、改善がこれからもたくさん必要なことを理解しましたが、特に農業などは若いメンバーも多く、農業でもサツマイモの栽培、肥料作りが発展してみんながたくさん食べられるようになると本当にうれしいと思います。
NGOは人と人の関わりで、とても地道だから、がんばって向き合えば前進もできると思うし、ともに喜びも味わえるので、カルナリ協力会のこれからをぜひ見つめていきたい、ときには訪れたいと思いました。
今回は、今まで以上にたくさん学ぶことができ、そんな機会を与えてくださったネパールカルナリ協力会に深く感謝をしたいと思います。ありがとうございました。 2010年3月
|
11、村での養豚講習とブタ飼育環境調査を終えて
染井 英夫
千葉県の農業大学校で、酪農、養豚や飼料学を教えておりましたが、定年退職を機にカルナリ協力会の皆様の知己を得て、予てからの夢だったネパールの農業支援に関われることになりました。ネパールは私にとっては元々、趣味のヒマラヤトレッキングで何度か訪れていた大好きな人々の国でもありました。
折しも清沢事務局長さんが3月から現地入りしていることもあり、3月31日に退職辞令を受け、翌々日には急遽出発することになりました。
出発前に現地情報を収集した結果では、豚の飼育は東ネパールを中心に行われており、タライ平原を除く西ネパール地方ではあまり飼育されていないということ、カースト制度にあってはブタや豚肉に対する特殊な意識が存在すること等もあり、地元の青年達からオファーがあったにせよ、村への養豚の導入は一筋縄では行かないだろうと思っていました。特に現地は標高2,500mもの高地であり、将来、他の地域から導入するとなると、高地順応して生産性が確保できるかという点で大きな不安がありました。また、タライ西部における日本脳炎発生の情報もあり、慎重にならざるを得ない状況でもありました。
そこで今回は、「現地での飼料調達の可能性」、「地域におけるブタ飼育に対する意識」、「地域に適した飼育形態と適正規模」、「近隣地域からのタネ豚導入の可能性」を主眼として調査し、合わせてブタ飼育のための基礎知識を講習することとしました。
ネパールは全土にわたってウシ、山羊の多い国であり、山岳地が多く狭い国土に日本の2倍以上のウシが飼育されており、ディリチョールVDCも例外ではありません。したがって、家畜飼料になりそうな資源は無駄なくこれらの家畜に利用されており、さらにブタ飼育を普及させるとなると、新たな資源を発掘するか、ウシの飼料を流用しなくてはならなくなります。そこで、最初はあまり多くの飼料を必要としないで済むように、1戸に1頭ずつの母豚を飼育して子豚を産ませ、離乳後1カ月程度の子豚をバザールで売却する「子取り雌豚経営」がこの地域に適していると思われました。戦後間もない頃の食糧難の時代のわが国で、ブタ飼育が普及し出した状況とも似通っているからです。
次に、近隣の地域からタネ豚を導入できるかという問題です。幸か不幸か、村は高地ということもあり、ブタの伝染病を媒介する害虫も少なく、偶蹄類の伝染病も発生していません。この清浄な状態は将来にわたって維持しなければならない財産ですので、村内やジュムラから導入できないかと考え、訊き込みをしながら現地調査したところ、村内に2か所とジュムラに3か所の養豚飼育を確認できました。これらのうち、3か所は繁殖をしており、子豚購入の目途がついたことは収穫でした。
さて、ティルク村のユースクラブ有志に声をかけ、日差しの暖かい1日、インスティチュートに集まって貰い、ブタ飼育の基礎について学ぶ講習会を開催しました。駐在ポリスも混じって10数人で2時間ほど話をしたのですが、通訳のガネッシュ君の活躍もあり、7人の若者がブタを導入したいと手を挙げてくれました。この日の資料は、後日テキストにまとめ、翻訳して村に残すことになりました。カトマンズに戻ってからこれを作成し、1日がかりで翻訳に協力してくれたクリシュナさんに託すことができました。
今後は、母豚のお産や子豚管理、種付けの実地実習、飼育設備の指導、ジュムラなどからの子豚購入の段取りと、将来、販売する際課題が残されていますが、長い目で見ながら地域の農業を育てていく姿勢が必要だと考えています。
私にとっては、初めての海外協力活動でしたが、限られた期間で思っていた以上の活動ができたのは、現地ならびに国内の協力組織の積極的な動きがあったからこそではないかと思います。
日差しの中での豚飼育の講習会 ジュムラで見つけた養豚業者の
チャンドラ・マニさん
千葉明徳学園の姉妹校交流
理事長 福中 儀明
千葉明徳学園は千葉市内にあり、短大・高校・幼稚園・保育園があります。来年4月には中学も開校します。
本学園の鈴木副理事長が清沢さんと知り合いという関係で紹介を受け、姉妹校交流を提案いただきました。
私は1970年代80年代にネパールに4回行き、うち2回はアンナプルナ方面の単独トレッキングをしています。ですからネパールの地理は大体わかり、西ネパールが特に貧しいこと、トレッキングの対象になる高山がないことなどは知っていました。最寄の空港のあるジュムラの名前も知っていましたが行くことはありえないだろうと思っていました。
あまり魅力のある土地ではなさそうだけれど、清沢さんが勧めてくれるからとりあえず見てみよう、と気軽な気持ちで下見に行ったのが2006年9月のことでした。
ジュムラの空港から歩いて4時間、標高2600mの村にリナモッチェ(リンモクシャ)・ハイスクールはあります。子供達が校舎の前に並び、手を合わせる挨拶の「ナマステー」で歓迎してくれたときは涙の出るほど感動しました。
校地は広く、ゆるい斜面だがグラウンドもバレーボールコートもあります。黄色いシャツの制服を着た子供達の目は好奇心に輝いていました。来るまでには少し苦労したが、来てよかったと思ったものです。
先進国である日本の学校は同じ先進国に姉妹校や研修旅行先を求めるのが普通で途上国を対象とすることはほとんどありません。途上国では交流ができないのだろうか、研修ができないのだろうか、いやそんなことはないでしょう。
泊めてもらった地元の農家の屋根の上で村を見下ろしながら、村を囲む山々を見上げながら、考えました。
――中腹に出作り小屋を建て、泊まりこんで牛を放牧している。冬に備えて草を刈る人もいる。その周りで子供達が走り回って遊んでいる。谷を囲む斜面のあちこちから子供達の歓声が響いてくる。自動車を見たことがない彼らもやがては学校で世界を知り、都会にあこがれ、カトマンドゥへ出て行ってしまうのだろうか。100%農家のこの村の将来はどうなるのだろうか。都会に行かずこの村で一生を終える人は最期の瞬間に何を考えるのだろうか――
学校で子供達の笑顔を見て、菜食して、尻を手で拭いて、山と宇宙を眺めて、生きることを考える――先進国にはありえない稀有な体験です。
だから――姉妹校とする価値があると考えました。以来4年、今年もまた行くつもりです。カルナリ協力会の皆さんも一緒に行きましょう。
20100514
7、<09年度事業点検>
2008年度より農業技術支援にも力を入れ始めたので、現地協力NGO(NKSS)を介して事業を行うという形態から、事業ニーズのあるグループ(具体的にはティルク村のユースクラブ)に対し、技術協力することと事業費を直接渡すという形態に移行している。事業そのものへの支障は出ていない。むしろ機動性がある。しかし、NKSSの組織運営、維持問題が懸念される。検討課題である。
事業費を活動グループに直に渡しているが、NKSSを通すほうが、よいのかも知れない。
NKSSの存在の再確認が必要。メンバーの主流が先生。家で農作業を手伝っていても、農業自体を主に考え、行っている訳ではないので、農業技術支援事業を行っていく上で温度差が生じている。検討が必要。NKSSの存在自体、問題は全くない。
事務局員の必要性。(10年度事業案で)
9、<2010年度事業案>
農業事業支援
1、子豚支援(1頭4000ルピーの半額支援)。ティルク村青年7人が飼育希望。飼育指導は染井さん。 2011年3月、子豚が生まれる頃に村に入る予定。
2、サツマイモの苗床。
3、ビニールハウスによる野菜栽培。青年クラブからの強い要望。実験的に希望者7~10人くらい支援。
4、牛の骨を粉にする、水車を完成させる。実りに大切なリン酸肥料が不足しているので、是非実現させる。
5、ヒマラヤ保全協会との共同植林事業(技術指導はヒマラヤ保全協会)。ジャプナ村。10年4月に村人との話し合い済み。村人から求める声大(必要)。協力。積極性、意欲的。
6、学校で豚飼育の授業を行い、実際に飼育する。成長したら全校で試食するまでを、トレーニングする。 技術指導は染井さん。 栄養、現金収入、実学等を教える・・・
7、味噌作り(麹をネパールのダマウリ・是松さんのフィールドから分けてもらう)
8、乾燥野菜の技術指導(予定)
9、古代米(ジュムリマシー)の再生技術支援に挑む
10、温暖化に伴う冷害対策を指導できる技術者募集。
11、その他
教育支援
1、明徳学園の生徒交流
2、農業、理科実験授業予定 農業技術者募集
3、日本語指導・先生募集
4、夏には道路が出来て、車(トラクター)が村に荷物を積んでくるようになるらしい。
価値観、生活スタイルが急激に変化し、狂い始めることが容易に考えられる。
******どなたか!健康な価値観、生活スタイルを伝えに行ってもらいたい。
(日本も不健康なところが結構あるので、上からの眼線ではなく経験者として伝えてもらいたい)
ヘルス
1、現地の手の届く範囲の健康を指導
2、トイレ、飲料水の普及
NKSSのセクレタリー採用の件
レポートを月に1度、きちんと報告する。
事業の指導、管理を出来る人。
日本語が出来る人。(明徳学園で3カ月間、日本語、レポート書きの研修をさせる)
ひと月のサラリー3000から4000ルピー。継続できる人。
ハード支援から技術支援へ
<国内>
1、 ホームページの充実(多くの人の意見を反映させる)、リンクを増やす。
2、 パンフレットの改訂
3、 楽しいニュースレターを(若い担当者、新しい担当者の参加)
4、 イベント実施
5、 スタディーツアー実施、得意分野での協力実施
6、 カレンダー事業
7、 技術研修への参加
8、その他
9、検討:年会費改正。個人3000円を5000円、団体5000円を1万円に。
総会報告
5月30日、2010年度の総会、無事終了いたしました。
以下、ご報告します。
2009年度の事業報告に続き、決算報告を説明し、2・3点の質問がありましたが、承認されました。会計監査の承認済。
(質問・①カレンダー収入に関して。カレンダー事業は単独会計で処理し、収入額のみ
記載していることを、補足説明し納得了解して頂いた。
②繰越金について。通帳管理している代表から情報確認不足によるミス記載
で、指摘を受けて訂正した経緯を説明し、参加者に納得了解して頂いた。
繰越金 1047105円を・・・・→129647円に訂正
2010年度の事業計画案は2点、議論の結果以下のように訂正され、承認されました。
① NKSSのセクレタリーのサラリー月3000ルピーを、1000ルピーに修正
理由:必要は納得できるが、仕事がどの程度出来るのか未知数なので、1年間様子を見るということで。とりあえず、1000ルピー(約1350円)で。
② 年会費の改訂に関して。いろいろな会の年会費をみても、5000円は決して高くないが、提案されてすぐに改訂よりは、来年度から改訂することを折に触れて会員に伝え、理解を得たほうがよい。以上の考えから、今年度は従来通りで、次年度改訂の方向で会員の理解を得ることに決定しました。
③ 事業として、国際協力の日・10月2,3日(日比谷公園)ネパールカレー
を作り販売することに決まりました。
※ホームページを充実させるために、2カ月に1度は更新できるように専属担当を、江守亜由美さんにやってもらえることになりました。
ホームページに載せたいような写真や記事があれば、どんどん送って下さい
※※ニュース担当も、新しい感覚で読みやすく、面白く、楽しいものになればということで、これも江守亜由美さんに担当してもらえることになりました。
2010年度の「収入」に関して、繰越金の訂正、年会費ほかが違っていましたので訂正。
2010年度の「支出」もNKSSのサラリー訂正、ブタの頭数2頭追加(種豚)追加し、
「2010年度予算」が承認されました。
<2010年度事業>
農業事業支援
1、子豚支援(1頭4000ルピーの半額支援)。ティルク村青年7人が飼育希望。飼育指導は染井さん。 2011年3月、子豚が生まれる頃に村に入る予定。
2、サツマイモの苗床。
3、ビニールハウスによる野菜栽培。青年クラブからの強い要望。実験的に希望者7~10人くらい支援。
4、実りに大切なリン酸肥料が不足しているので、牛の骨を粉にして使えるようにする。
5、ヒマラヤ保全協会との共同植林事業(技術指導はヒマラヤ保全協会)に向けて、ジャプナ村の人々と話し合い、植林の要望と協力を確認した。協力姿勢。積極的、意欲的。
6、学校で豚飼育の授業を行い、実際に飼育する。成長したら全校で試食するまでを、トレーニングする。 技術指導は染井さん。 栄養、現金収入、実学等を教える・・・
7、味噌作り(麹をネパールのダマウリ・是松さんのフィールドから分けてもらう)
8、乾燥野菜の技術指導
9、古代米(ジュムリマシー)の再生技術支援に挑む
10、温暖化に伴う冷害対策を指導できる技術者募集。
11、その他
教育支援
1、明徳学園の生徒交流
2、農業、理科実験授業予定 農業技術者募集
3、日本語指導・先生募集
4、夏には道路が出来て、車(トラクター)が村に荷物を積んでくるようになるらしい。
価値観、生活スタイルが急激に変化し、狂い始めることが容易に考えられる。
******どなたか!健康な価値観、生活スタイルを伝えに行ってもらいたい。
(日本も不健康なところが結構あるので、上からの眼線ではなく経験者として伝えてもらいたい)
ヘルス
1、現地の手の届く範囲の健康を指導
2、トイレ、飲料水の普及
NKSSのセクレタリー採用の件
レポートを月に1度、きちんと報告する。
事業の指導、管理を出来る人。
日本語が出来る人。(明徳学園で3カ月間、日本語、レポート書きの研修をさせる)
ひと月1000ルピー。継続できる人。1年間様子をみて、判断する。
ハード支援から技術支援へ
<国内>
1、 ホームページの充実(多くの人の意見を反映させる)、リンクを増やす。担当:江守
2、 パンフレットの改訂
3、 楽しいニュースレターを(若い担当者、新しい担当者の参加)担当:江守
4、 イベント実施(10月2・3日、国際協力の日(日比谷公園)にネパールカレー販売)
5、 スタディーツアー実施、得意分野での協力実施
6、 カレンダー事業(担当:塚原)
7、 技術研修への参加
8、 ディリチョールのラムリー村以外の電気のない村々に、手廻し発電ライトを送る運動を推進する。1人で1台分(11000円)援助するか、数人で1台分援助するか、協力を呼び掛ける。(ソーラーパネル充電型14000円。手廻し発電・ソーラパネル充電型18000円)。10分充電して、1時間点灯。フル充電で9時間点灯。(詳しくは、技術者・鈴木さんのホームページを、http://www.dream-energy.jp)
9、その他
10年会費改正について。2011年度値上げ実施に向けて、2010年度は機会あるごとに、会員に理解して頂けるように説明を繰り返す。
2010年2月22日月曜日
新年会
三々五々新年会の会場に会員が集まってきたが、ゲストの大使がまだ。
ネパールタイムと気にしなかったが、会場が2時間と決まっていたので、折を見て乾杯のリハーサルをした。しばらくして、ゲストがお出でになった。座が盛り上がる。
本番。ネパール語の通訳がいたおかげで、大使もホッとされた感じ。みんなの自己紹介の後、大使に自己紹介をして頂いた。4Nのカレンダーをプレゼントしたところ、自分の家が写っていると、感激されてひとしきり写真についての説明。その写真を撮った写真家に、お礼を述べ二人で意気投合。僻地カルナリで活動をする会へのお礼の言葉。ありがたい。
次は千葉支部で是非会いましょう、ということでお別れ解散。いま、その話が進行しそう。
本当はその時の写真を載せたいのですが、私の技術があと一歩及ばず、今回は掲載を見送ります。(私のパソコンの師匠には、本当に申し訳なく思っています)
後日挿入予定
3月4日、ディリチョール村へ
*協力者2人の参加で、事業の幅も膨らむ。
(保健医療を宮本さん、女子教育を米川さん)
*サツマイモ栽培の普及活動
4月4日、ディリチョール村へ
*家畜専門家(染井さん)の協力で、豚飼育の環境調査
(清沢洋)
2010年2月14日日曜日
2010年、カルナリ協力会の新年会
*
_2月15日(月)、17時から19時まで_
*場所*:小田急線の経堂駅下車、農大通り歩5分
「らかん」(サンクス隣り) 03−3429−2230
*会費*:4000円
ガネシュ・タマンネパール大使をお招きして、楽しいひと時を過ごしたいと思い
ます。
ご希望の方は、ご参加ください。後数名可能です。
ネパールが好きな方、関心のある方、NGO活動に関心のある方どうぞ!!
地図 ←ここをクリックしてください
ネパールカルナリ協力会
2009年10月2日金曜日
帰国報告1
念願のサツマイモは、村人、カルナリ会員の願いが通じたのでしょう、元気に育っていました。希望者各家に2本ずつツルを配り、それが元気に育っていました。子供たちにサツマイモ植えたのか聞くと、見に来てくれと畑まで案内された。2本のツルとは思えないほど、畑に葉が生い茂っています。
我々がサツマイモを見に来ている様子を、屋根の上から見ていたおばあさんが、うちのサツマイモも元気に育っているよ。見に来てくれ、と案内された。嬉しく案内された理由が分かるほど、元気に畑にツルが生い茂っていた。2年目の栽培で、どうなることか不安であったが、青年団が希望者にきちんとツルを2本ずつ配り、多くの村人に普及させようといろいろ考え、工夫している姿勢にも感動させられた。
持続可能の第一歩である。
村人も楽しみに収穫を待ち望んでいました。食べ過ぎて種イモが無くならないことを、心配しています。来春の苗床を心配しながら計画している、青年団に期待しているところです。
10月20日過ぎの、収穫の吉報を心配しながら待っているところです。
(写真はカンボジア・シェムリアップ)
(事務局長:清沢洋より)
2009年7月11日土曜日
総会資料 09年5月号より
皆様には、ご健勝にてお過ごしのことと存じます。おかげさまで、この一年順調に諸事業を遂行することができました。変わらぬご支援に心からお礼申し上げます。3年目を迎えたカレンダ-事業も、皆様のご協力で、何とか無事完了することができ、事務局一同安堵しているところです。重ねてお礼を申し上げる次第です。
今年度は、現地ネパ-ルに清沢事務局長が二度訪れ、それぞれ一定の成果を収めてきました。詳細は別掲の報告をご覧頂きますが、本会も1992年の発足以来、ともかくもここまで歩みを重ね、かの地にいささかなりとも根付くものを印し続けてきたこと、この総会でもぜひ皆で確認しあいたいと思います。同時にこれからの現地支援のあり方についても、率直なご意見など頂きたいと考えています。総会の成功に多くの皆様のご協力を、改めてお願いいたします。
(年度会費ご協力頂いた方)-順不同、敬称略

白川嘉道、鈴木昭二、三根健策、中条幸一、杉浦道雄、神谷大雅、田中実、中沢恵子、田淵幸子、石田君江、柏田粋香子、野村洋介、門馬貞直、門馬友直、鈴木道子、鈴木歓、中山カオル、今成京子、小野進、中島光知子、福田惇子、塚原明子、中戸川利江、上川治子、明徳学園、岡本美津子、小林恵美子、戸塚はるみ、佐藤宏樹、佐藤幸雄、中沢恵之助、泉田明良、田中実、中島光知子、木村博子、野村洋介、石井朱美、石岡けい子、安部京子、上田啓子、山崎幸子、浅井晴夫、小森祥子、小森次郎、守川芳夫、出川治子、水野武郎、庄司卓、清沢洋、釜野徳明、大越正法 (51口)
(今年度寄付ご協力頂いた方)-順不同、敬称略
鈴木昭二、三根健策、神谷大雅、出川治子、中山カオル、中島光知子、中戸川利江、上川治子、岡本美津子、戸塚はるみ、佐藤幸雄、中沢恵之助、柏田粋香子、泉田明良、中島光知子、森谷三枝子、石井朱美、五嶋敏子、山本久美子、伊藤幸世、小川純子、守川芳夫、石田君江、木村博子、阿住裕明、白川照二、浅井晴夫、吉永民子、安部京子、上田啓子、河野美惠子、水野武郎、EM(佐野雄次郎)、鈴木歓 (34口)
<08年度を振り返り>
4月3日 事務局会議(カレンダ-、ほか)
6月2日 事務局会議(カレンダ-、ほか)
6月13日 4N総会(神戸)、カレンダ-参加呼びかけ、製作料支払いの件了承、
7月28日 事務局会議(カレンダ-、ディリチョ-ル支援確認ほか)
8月下旬から9月中旬 現地訪問(村人との会議、支援確認)
8月 ニュ-ス発行
11月8日 OB会員(鈴木歓君)結婚!(カルナリの活動紹介)、1人会員に
11月28日 ネパ-ル報告と忘年会のお知らせ(葉書)ニュ-ス
12月14日 報告会と忘年会(浜田山町)
2月2日 ディリチョ-ルでのEMトレ-ニングの打ち合わせ(EM研究機構と)
3月6日から26日 ディリチョ-ルで、サツマイモ栽培(是松氏)、EMトレ-ニング(佐野氏)
(参加者:清沢、石井(日本学園OBの親)、バンコクよりEMスタッフ佐野、カトマンズより是松(農業技術協力者)、安西(他のNGOスタッフ)、通訳サナダ・ビスタ)
※ カレンダ-事業、小森次郎、浅井晴夫さんたちの技術協力と小森祥子さんはじめ多くの方々の販売協力と、購入ご協力頂いた方々の御かげで、今年度も400部完売できました。
『NGOネパ-ルカルナリ協力会と私』
ネパ-ルカルナリ協力会理事 小森祥子
1991年~1993年日本学園の中学生・高校生達が地域の賛同者と共にNPOネパ-ルカルナリ協力会を結成され速や18年、継続は力と言われます通り「リナモッチェ10年制学校」は、2008年度には800人を越す生徒数と伺いました。当時の中学・高校生だった日本学園の生徒達は30歳を越す年齢となり、各地で日本の社会を支える中堅者となって活動をしている事と思います。
一方1993年にリナモッチェ学校に入学した子供たちも20歳を超え立派な大人として村を支えている事でしょう。 私とカルナリ協力会との出逢いは、2006年姉と一緒に清沢家を訪問しネパ-ルのお話しを聞かせて頂いたり、前田さんのネパ-ル旅行の本を頂戴し読んだのがきっかけでした。
永年勤務していた幼稚園を退職して、半年以上経ち、比較的自由な時間が取れるようになって居ましたので、何かお役に立つ事があるのではないかと思いました。
何回か定例会に参加し、ネパ-ルのカレンダ-を作成し、その売上を活動費にという事業計画が立案され、その作成に協力する事になりました。有賀氏のネパ-ルの写真を沢山見せて頂きながら、いつの日か私もディリチョ-ル村へ行きたいと考えていましたが、なかなか条件が整わず未だ夢は果たされていません。
ネパ-ルへはなかなか行けないのですが、昨年より自分の住んでいる地域で子育てに悩み、支援を求めて人が多いと伺い、誰かのために今、自分にできる事を1つ1つやって行きたいと思い、福祉クラブ生協「多摩子育て支援」を発足し活動を始めました。
これからも、私のできる範囲でカルナリ協力会の方もお手伝いをしたいと思います。皆様の益々の御活躍を期待しています。
09年3月 ディリチョ-ル報告
清沢洋今回のディリチョ-ル訪問の目的は、昨年に引き続きサツマイモの栽培が主です。他には、昨年夏にネパ-ル側の協力NGO「NKSS」(ネパ-ル、カルナリ、サポ-ト、ソサエティ)との間で協議して計画した事業の進捗状況の確認です。それとカルナリ会員の明徳学園の事業ですが、村のゲストハウスの改修事業の確認です。
1、農業サツマイモ栽培
昨年は1ヶ月遅かった(4月)のに寒さのため、発芽時期が大幅に遅れたことを踏まえて、是松氏(岡山のNGOヤギの会代表)の指導の下に今年は苗床を作った。牛糞交じりの堆肥と松葉(藁が牛の餌でないため)をサンドイッチにして臨機応変作り上げた。朝方、薄氷が張る日と霜が降りる日と、5度くらいの日が大半。日中は30度。日陰で25度という気候条件。冬と夏を1日で体験する奇妙な気候。底冷えのする翌朝は、4500メ-タ以上の山頂は雪を頂いている。畑は霜柱。有り合わせのもので霜よけを作った。藁でむしろを編み、不足分を米袋、ビニ-ル、松葉で覆う。帰ってくる時には、芽がほんの少し出始めていた。村の青年組織を中心に管理体制を作れたことが、何よりの成果であった。
**(昨年のサツマイモ実験栽培は全滅だと思っていたら、先生の家の芋が大きく育ち1本は食べ、もう1本は堆肥置きで越冬したので暖かく、結果的に苗床に植えたような状態なので、今年の新芽を楽しみにしているとのことです。思わぬ朗報でした。大変美味しかったと夫婦で大喜びでした。少しほっとしました。結局寒いので、苗床が必要な地域だということが確認できました)**
2、NKSSとの会議(08年度の事業の途中経過の確認)
学校関係
- 寄宿舎のトタン張替え60枚、完了。
- 使用禁止になっている女子トイレの穴と蓋、完了。
- 男子トイレの穴の蓋、完了。
- 全校の窓、室内セメントで修理、完了。
- トイレの屋根一部をファイバ-・グラスに取り替える(明り取り)、間もなく。
- トイレ、宿舎の水道、切断の修復、完了。(深く埋める必要あり、ボランティア求む)
- 学校の外周石垣の崩れ修復、複雑な問題が絡み、調整中。
- ロッカ-の鍵、ドアの板は夏までに。
発電関係
- 発電小屋の屋根のトタン張り56枚、完了。予定外の小屋の窓枠、柱などリニュウアル。
- 発電機の部品交換、工具購入、完了。
- 用水路の水漏れ、セメントによる防止工事、寒さのため失敗。暖かくなり再挑戦。
- 使用料の徴収徹底、収支のノ-トへの 記載の徹底が課題。(ネパ-ルもようやくLEDライトに取替え中。W数が減るのでモ-タ-によい)
- 粉挽き機、間もなく修理完了の予定。
- エンジニア、弟に交代していた。理由、給料が安いから。
3、EMトレ-ニング
3村で(ルマ、ジャプナ、ロルパ)有機肥料の素材の少ない村で、いかに効率よく堆肥化するかが課題であった。この度アジアでEMを普及させている日本の団体「アプナン」(バンコク事務所)の支援協力のお陰で、トレ-ニングを行うことが出来ました。担当の佐野氏の熱意で団体を説得して、団体の事業として来て頂くことが実現しました。 ジュムラ農業省は化学肥料が高いので、オ-ガニック宣言をしている環境郡です。第1回目は、農業省で役人と農民30人を対象に行い、熱心に聞き入り質問もレベルの高いものであったとのこと。
2回目は、ルマ村で40人近い農民に、堆肥作り(寒冷地なので、平地の倍の2ヶ月で出来上がる)とEMの1次培養液(1リットルを100倍に増やす)の作り方の講習を実践。リ-ダ-と副リ-ダ-が責任をもって世話をして、村人に成果を見せることになっている。夏、確認するのが楽しみであるが、心配でどきどきでもある。
4、マヤ保健衛生の先生(カルナリの保健衛生向上の事業担当者)の問題
- 以前から薬の英語が分からず、先生たちが教えたりしてきた。
- また薬の渡し方が去年まで、腹の痛い人、頭の痛い人と聞き、生徒に手を上げさせて、手を上げた生徒全員に薬を渡していた。昨年通訳をしてくれた青年(他の地域のヘルスポストのスタッフ)が、いろいろ教えている過程で分かったことです。
- 薬の選定に関して、自分の資格では扱えない点滴などを多く注文したことと、自分でもどんな薬か知らずに注文していたので、総重量が140Kgにもなり、カトマンズから搬送するのに大変難航しました。
- さらに、学校の下にあるヘルスポストの職員に確認すると、マヤさんは薬に関して聞きに来ることもないし、学校にあまり来ていないといいます。(確認が大変難しいです。別の話になりますが、ジャプナで聞いた話と関連しているようです。学校の先生の地元と外部の比率が今は10人:7人、元は逆で6人:10人であった。地元の先生は畑や家作りのために学校をよく休むため、授業の質が低下しているとのこと。こんな山奥にも私立小学校が増えている理由が、そのへんにあるようです。始末に終えないのはお互いかばいあい、来ていなくても、よく頑張っているというコメントになることです。マヤさんのケ-スもこれに該当するのか?難しいが調べる必要があるのか、従来の流れで対応する時期に来ているのか、総会の課題)。
5、ティルク村のユ-スクラブを支援
サツマイモの実験栽培は、1で報告した通りです。加えて栽培の維持管理をするユ-スクラブのメンバ-30名弱との話し合いの結果を受けて、2日後に彼らが話し合いの結果を自分たちなりにまとめて、決議、4項目の要望書が持ち込まれた。
①発電機支援
②農機具支援(農業国として努力する)
③サツマイモ栽培の成功後、豚の飼育指導支援
④教育支援(ノ-ト、鉛筆、教科書代など)
6、オ-ガニック宣言するジュムラ郡であるが、全体的に肥料特にP(リン)が不足している。ところが、多くの牛を埋葬している。その骨を粉にして田畑に散布する(是松さんのアイデア)ことを提案したところ、ユ-スクラブで検討した結果さっそく実践したいということで、硬い骨を粉にするため専用の水車小屋を作ることになった。半額の15000ルピ-支援することにした。その流れから、ユ-スクラブがカルナリに支援要請をしてきた。NKSSに参加し、そこを通してさまざまな活動を展開することを提案した。やる気のあるティルクのユ-スクラブを他の村が真似ることを期待してのことです。種が実ることを願っているところです。
7、カルナリ会員の明徳学園によるゲストハウス修理事業の確認NKSSとの会議で、ゲストハウスの修理事業の進捗状況を確認。木を削り板にしている最中。夏には何とか間に合わす予定とのこと。温水シャワ-、水洗トイレ、ガス、ソ-ラ-電気と一流ホテル並み。管理はNKSSが行うことになっています。ゲストハウスの1室をNKSSの事務所として提供。カルナリ会員も利用可。8、日本学園の卒業生の親(指圧師石井啓さん)が、薬も設備も必要ない指圧を村で普及させたいとの目標で参加されました。最初なので、村人は「痛い」と、敬遠する人、「効き目を体験」している人がいました。今後の継続如何のようです。
余白だより
村を去る日、学校ではSLC(全国高校卒業統一試験)の1週間の試験の初日でした。センタ-校であるリンモクシャ学校には200人の生徒が受験に来ていました。付き添いも多く、学校の前は日本の入学試験並みの賑わいでした。この試験では、カンニングが今なお半公然と行われている状態です。全国的現象。何時でも何所でもテストの宿命。
<国内>
1、カレンダ-事業。
写真協力・有賀正博さん、技術協力・小森次郎さん、浅井晴夫さん。製作者・白川嘉道代表(責任者)、小森祥子さん(販売責任者)、清沢洋。印刷・ユ-プリント(守川芳夫さん)。4N参加団体ほか。皆さんの協力により一定の質を保ち、評価を得ています。カルナリにとって重要な収入事業である。同時に、ネパ-ル、カルナリ協力会をアピ-ルする良い媒体でもある。2、春、夏のディリチョ-ルでの農業支援活動、教育支援活動ほかの報告会。参加者 からの質問、建設的な意見が出された。その一つが、ニュ-スレタ-に写真があるといい。カラ-であるともっと読みやすくなるという意見であった。ホ-ムペ-ジの立ち上げの重要さも指摘された。
(課題、ニュ-スレタ-をこまめに出す。ホ-ムペ-ジを立ち上げる。さらに、セミナ-、講演会、シンポジュ-ム、ビデオ上映などを行うなど・・)
修理が間に合えば、夏にはゲストハウスが使える。ぜひ、スタディ-ツア-の再開を考えたい。
<編集後記>

09年度の総会が例年より3か月余り遅れました。3月の上旬から4月上旬までディリチョ-ルに行き、サツマイモの苗床を作り植えてきました。この時期を逃すと、発芽せず、万が一発芽しても蔓を移植する時間がなくなってしまうので、農業支援を継続するには、この時期に総会を実施することは困難です。ご理解のほど、よろしくお願いします。
5月5日、マオ派政権から下野。再び混迷のネパ-ルの政治情勢。原因、国軍の参謀長の解任をめぐって。国王のク-デタ-の時に国軍の参謀長をしていたカタワルの定年延長を認めず、マオ派政府は解任、政治権限のない大統領が留任、UML(統一共産党)・NC(国民会議派)は継続。無関係のインドも継続。マオ派が大統領の越権行為に抗議して下野した。マオ派が解任を取り下げなければ連立政府を脱退すると圧力をかけたUMLに反発して、下野した側面もある。
三者、四者の政治的駆け引きが優先し、貧困に喘ぐ国民不在の政治状況。ネパ-ルも日本も政治本来の目的が見失われている。政治家、官僚のための政治になっている。今こそ「チェンジ」!カルナリ協力会にとって、よい政府にこしたことはないが、治安が安全であればよい。国民と政府とマスコミで時間をかけてとことん激論を行い、貧困削減の国家展望を模索することが緊急課題である。安易な妥協、政治的収拾策は禍根を残すだけである。インド、中国、アメリカの政治圧力を懸念する。自主自立の展望を期待する。カルナリ協力会としては農民が自給自足できるように、政治とは無縁に学校教育を支援し(明徳学園との連携に負うところが大きい)、明日の村を支える青年組織を支援し、農民には農業技術を支援し、女性(男性)たちには料理講習を通して栄養、美味しさを伝え、農村の自立支援を続けていきたい。 (清沢)