2009年7月11日土曜日

総会資料 09年5月号より

  代表あいさつ                       白川嘉道

 皆様には、ご健勝にてお過ごしのことと存じます。おかげさまで、この一年順調に諸事業を遂行することができました。変わらぬご支援に心からお礼申し上げます。3年目を迎えたカレンダ-事業も、皆様のご協力で、何とか無事完了することができ、事務局一同安堵しているところです。重ねてお礼を申し上げる次第です。
 今年度は、現地ネパ-ルに清沢事務局長が二度訪れ、それぞれ一定の成果を収めてきました。詳細は別掲の報告をご覧頂きますが、本会も1992年の発足以来、ともかくもここまで歩みを重ね、かの地にいささかなりとも根付くものを印し続けてきたこと、この総会でもぜひ皆で確認しあいたいと思います。同時にこれからの現地支援のあり方についても、率直なご意見など頂きたいと考えています。総会の成功に多くの皆様のご協力を、改めてお願いいたします。

年度会費ご協力頂いた方)-順不同、敬称略
白川嘉道、鈴木昭二、三根健策、中条幸一、杉浦道雄、神谷大雅、田中実、中沢恵子、田淵幸子、石田君江、柏田粋香子、野村洋介、門馬貞直、門馬友直、鈴木道子、鈴木歓、中山カオル、今成京子、小野進、中島光知子、福田惇子、塚原明子、中戸川利江、上川治子、明徳学園、岡本美津子、小林恵美子、戸塚はるみ、佐藤宏樹、佐藤幸雄、中沢恵之助、泉田明良、田中実、中島光知子、木村博子、野村洋介、石井朱美、石岡けい子、安部京子、上田啓子、山崎幸子、浅井晴夫、小森祥子、小森次郎、守川芳夫、出川治子、水野武郎、庄司卓、清沢洋、釜野徳明、大越正法 (51口)

今年度寄付ご協力頂いた方)-順不同、敬称略
鈴木昭二、三根健策、神谷大雅、出川治子、中山カオル、中島光知子、中戸川利江、上川治子、岡本美津子、戸塚はるみ、佐藤幸雄、中沢恵之助、柏田粋香子、泉田明良、中島光知子、森谷三枝子、石井朱美、五嶋敏子、山本久美子、伊藤幸世、小川純子、守川芳夫、石田君江、木村博子、阿住裕明、白川照二、浅井晴夫、吉永民子、安部京子、上田啓子、河野美惠子、水野武郎、EM(佐野雄次郎)、鈴木歓 (34口)

<08年度を振り返り>
 4月3日   事務局会議(カレンダ-、ほか)
 6月2日   事務局会議(カレンダ-、ほか)
 6月13日  4N総会(神戸)、カレンダ-参加呼びかけ、製作料支払いの件了承、
 7月28日  事務局会議(カレンダ-、ディリチョ-ル支援確認ほか)
 8月下旬から9月中旬  現地訪問(村人との会議、支援確認)
 8月     ニュ-ス発行
 11月8日  OB会員(鈴木歓君)結婚!(カルナリの活動紹介)、1人会員に
 11月28日 ネパ-ル報告と忘年会のお知らせ(葉書)ニュ-ス
 12月14日 報告会と忘年会(浜田山町)
 2月2日   ディリチョ-ルでのEMトレ-ニングの打ち合わせ(EM研究機構と)
 3月6日から26日 ディリチョ-ルで、サツマイモ栽培(是松氏)、EMトレ-ニング(佐野氏)
 (参加者:清沢、石井(日本学園OBの親)、バンコクよりEMスタッフ佐野、カトマンズより是松(農業技術協力者)、安西(他のNGOスタッフ)、通訳サナダ・ビスタ)
  ※ カレンダ-事業、小森次郎、浅井晴夫さんたちの技術協力と小森祥子さんはじめ多くの方々の販売協力と、購入ご協力頂いた方々の御かげで、今年度も400部完売できました。

 『NGOネパ-ルカルナリ協力会と私』
                     ネパ-ルカルナリ協力会理事  小森祥子  
 1991年~1993年日本学園の中学生・高校生達が地域の賛同者と共にNPOネパ-ルカルナリ協力会を結成され速や18年、継続は力と言われます通り「リナモッチェ10年制学校」は、2008年度には800人を越す生徒数と伺いました。当時の中学・高校生だった日本学園の生徒達は30歳を越す年齢となり、各地で日本の社会を支える中堅者となって活動をしている事と思います。
 一方1993年にリナモッチェ学校に入学した子供たちも20歳を超え立派な大人として村を支えている事でしょう。 私とカルナリ協力会との出逢いは、2006年姉と一緒に清沢家を訪問しネパ-ルのお話しを聞かせて頂いたり、前田さんのネパ-ル旅行の本を頂戴し読んだのがきっかけでした。
 永年勤務していた幼稚園を退職して、半年以上経ち、比較的自由な時間が取れるようになって居ましたので、何かお役に立つ事があるのではないかと思いました。
 何回か定例会に参加し、ネパ-ルのカレンダ-を作成し、その売上を活動費にという事業計画が立案され、その作成に協力する事になりました。有賀氏のネパ-ルの写真を沢山見せて頂きながら、いつの日か私もディリチョ-ル村へ行きたいと考えていましたが、なかなか条件が整わず未だ夢は果たされていません。
 ネパ-ルへはなかなか行けないのですが、昨年より自分の住んでいる地域で子育てに悩み、支援を求めて人が多いと伺い、誰かのために今、自分にできる事を1つ1つやって行きたいと思い、福祉クラブ生協「多摩子育て支援」を発足し活動を始めました。
 これからも、私のできる範囲でカルナリ協力会の方もお手伝いをしたいと思います。皆様の益々の御活躍を期待しています。



09年3月  ディリチョ-ル報告

                                    清沢洋
  今回のディリチョ-ル訪問の目的は、昨年に引き続きサツマイモの栽培が主です。他には、昨年夏にネパ-ル側の協力NGO「NKSS」(ネパ-ル、カルナリ、サポ-ト、ソサエティ)との間で協議して計画した事業の進捗状況の確認です。それとカルナリ会員の明徳学園の事業ですが、村のゲストハウスの改修事業の確認です。


1、農業サツマイモ栽培

昨年は1ヶ月遅かった(4月)のに寒さのため、発芽時期が大幅に遅れたことを踏まえて、是松氏(岡山のNGOヤギの会代表)の指導の下に今年は苗床を作った。牛糞交じりの堆肥と松葉(藁が牛の餌でないため)をサンドイッチにして臨機応変作り上げた。朝方、薄氷が張る日と霜が降りる日と、5度くらいの日が大半。日中は30度。日陰で25度という気候条件。冬と夏を1日で体験する奇妙な気候。底冷えのする翌朝は、4500メ-タ以上の山頂は雪を頂いている。畑は霜柱。有り合わせのもので霜よけを作った。藁でむしろを編み、不足分を米袋、ビニ-ル、松葉で覆う。帰ってくる時には、芽がほんの少し出始めていた。村の青年組織を中心に管理体制を作れたことが、何よりの成果であった。
**(昨年のサツマイモ実験栽培は全滅だと思っていたら、先生の家の芋が大きく育ち1本は食べ、もう1本は堆肥置きで越冬したので暖かく、結果的に苗床に植えたような状態なので、今年の新芽を楽しみにしているとのことです。思わぬ朗報でした。大変美味しかったと夫婦で大喜びでした。少しほっとしました。結局寒いので、苗床が必要な地域だということが確認できました)**


2、NKSSとの会議(08年度の事業の途中経過の確認)
  学校関係



  1. 寄宿舎のトタン張替え60枚、完了。

  2. 使用禁止になっている女子トイレの穴と蓋、完了。

  3. 男子トイレの穴の蓋、完了。

  4. 全校の窓、室内セメントで修理、完了。

  5. トイレの屋根一部をファイバ-・グラスに取り替える(明り取り)、間もなく。

  6. トイレ、宿舎の水道、切断の修復、完了。(深く埋める必要あり、ボランティア求む)

  7. 学校の外周石垣の崩れ修復、複雑な問題が絡み、調整中。

  8. ロッカ-の鍵、ドアの板は夏までに。

 発電関係



  1. 発電小屋の屋根のトタン張り56枚、完了。予定外の小屋の窓枠、柱などリニュウアル。

  2. 発電機の部品交換、工具購入、完了。

  3. 用水路の水漏れ、セメントによる防止工事、寒さのため失敗。暖かくなり再挑戦。

  4. 使用料の徴収徹底、収支のノ-トへの  記載の徹底が課題。(ネパ-ルもようやくLEDライトに取替え中。W数が減るのでモ-タ-によい)

  5. 粉挽き機、間もなく修理完了の予定。

  6. エンジニア、弟に交代していた。理由、給料が安いから。

3、EMトレ-ニング


 3村で(ルマ、ジャプナ、ロルパ)有機肥料の素材の少ない村で、いかに効率よく堆肥化するかが課題であった。この度アジアでEMを普及させている日本の団体「アプナン」(バンコク事務所)の支援協力のお陰で、トレ-ニングを行うことが出来ました。担当の佐野氏の熱意で団体を説得して、団体の事業として来て頂くことが実現しました。 ジュムラ農業省は化学肥料が高いので、オ-ガニック宣言をしている環境郡です。第1回目は、農業省で役人と農民30人を対象に行い、熱心に聞き入り質問もレベルの高いものであったとのこと。


2回目は、ルマ村で40人近い農民に、堆肥作り(寒冷地なので、平地の倍の2ヶ月で出来上がる)とEMの1次培養液(1リットルを100倍に増やす)の作り方の講習を実践。リ-ダ-と副リ-ダ-が責任をもって世話をして、村人に成果を見せることになっている。夏、確認するのが楽しみであるが、心配でどきどきでもある。


4、マヤ保健衛生の先生(カルナリの保健衛生向上の事業担当者)の問題



  1. 以前から薬の英語が分からず、先生たちが教えたりしてきた。

  2. また薬の渡し方が去年まで、腹の痛い人、頭の痛い人と聞き、生徒に手を上げさせて、手を上げた生徒全員に薬を渡していた。昨年通訳をしてくれた青年(他の地域のヘルスポストのスタッフ)が、いろいろ教えている過程で分かったことです。

  3. 薬の選定に関して、自分の資格では扱えない点滴などを多く注文したことと、自分でもどんな薬か知らずに注文していたので、総重量が140Kgにもなり、カトマンズから搬送するのに大変難航しました。

  4. さらに、学校の下にあるヘルスポストの職員に確認すると、マヤさんは薬に関して聞きに来ることもないし、学校にあまり来ていないといいます。(確認が大変難しいです。別の話になりますが、ジャプナで聞いた話と関連しているようです。学校の先生の地元と外部の比率が今は10人:7人、元は逆で6人:10人であった。地元の先生は畑や家作りのために学校をよく休むため、授業の質が低下しているとのこと。こんな山奥にも私立小学校が増えている理由が、そのへんにあるようです。始末に終えないのはお互いかばいあい、来ていなくても、よく頑張っているというコメントになることです。マヤさんのケ-スもこれに該当するのか?難しいが調べる必要があるのか、従来の流れで対応する時期に来ているのか、総会の課題)。

5、ティルク村のユ-スクラブを支援


サツマイモの実験栽培は、1で報告した通りです。加えて栽培の維持管理をするユ-スクラブのメンバ-30名弱との話し合いの結果を受けて、2日後に彼らが話し合いの結果を自分たちなりにまとめて、決議、4項目の要望書が持ち込まれた。


 ①発電機支援   
 ②農機具支援(農業国として努力する)
 ③サツマイモ栽培の成功後、豚の飼育指導支援   
 ④教育支援(ノ-ト、鉛筆、教科書代など)


6、オ-ガニック宣言するジュムラ郡であるが、全体的に肥料特にP(リン)が不足している。ところが、多くの牛を埋葬している。その骨を粉にして田畑に散布する(是松さんのアイデア)ことを提案したところ、ユ-スクラブで検討した結果さっそく実践したいということで、硬い骨を粉にするため専用の水車小屋を作ることになった。半額の15000ルピ-支援することにした。その流れから、ユ-スクラブがカルナリに支援要請をしてきた。NKSSに参加し、そこを通してさまざまな活動を展開することを提案した。やる気のあるティルクのユ-スクラブを他の村が真似ることを期待してのことです。種が実ることを願っているところです。

7、カルナリ会員の明徳学園によるゲストハウス修理事業の確認NKSSとの会議で、ゲストハウスの修理事業の進捗状況を確認。木を削り板にしている最中。夏には何とか間に合わす予定とのこと。温水シャワ-、水洗トイレ、ガス、ソ-ラ-電気と一流ホテル並み。管理はNKSSが行うことになっています。ゲストハウスの1室をNKSSの事務所として提供。カルナリ会員も利用可。


8、日本学園の卒業生の親(指圧師石井啓さん)が、薬も設備も必要ない指圧を村で普及させたいとの目標で参加されました。最初なので、村人は「痛い」と、敬遠する人、「効き目を体験」している人がいました。今後の継続如何のようです。


余白だより
 村を去る日、学校ではSLC(全国高校卒業統一試験)の1週間の試験の初日でした。センタ-校であるリンモクシャ学校には200人の生徒が受験に来ていました。付き添いも多く、学校の前は日本の入学試験並みの賑わいでした。この試験では、カンニングが今なお半公然と行われている状態です。全国的現象。何時でも何所でもテストの宿命。


 <国内>
1、カレンダ-事業。
写真協力・有賀正博さん、技術協力・小森次郎さん、浅井晴夫さん。製作者・白川嘉道代表(責任者)、小森祥子さん(販売責任者)、清沢洋。印刷・ユ-プリント(守川芳夫さん)。4N参加団体ほか。皆さんの協力により一定の質を保ち、評価を得ています。カルナリにとって重要な収入事業である。同時に、ネパ-ル、カルナリ協力会をアピ-ルする良い媒体でもある。2、春、夏のディリチョ-ルでの農業支援活動、教育支援活動ほかの報告会。参加者   からの質問、建設的な意見が出された。その一つが、ニュ-スレタ-に写真があるといい。カラ-であるともっと読みやすくなるという意見であった。ホ-ムペ-ジの立ち上げの重要さも指摘された。 
 (課題、ニュ-スレタ-をこまめに出す。ホ-ムペ-ジを立ち上げる。さらに、セミナ-、講演会、シンポジュ-ム、ビデオ上映などを行うなど・・)        
修理が間に合えば、夏にはゲストハウスが使える。ぜひ、スタディ-ツア-の再開を考えたい。 

<編集後記>

09年度の総会が例年より3か月余り遅れました。3月の上旬から4月上旬までディリチョ-ルに行き、サツマイモの苗床を作り植えてきました。この時期を逃すと、発芽せず、万が一発芽しても蔓を移植する時間がなくなってしまうので、農業支援を継続するには、この時期に総会を実施することは困難です。ご理解のほど、よろしくお願いします。
5月5日、マオ派政権から下野。再び混迷のネパ-ルの政治情勢。原因、国軍の参謀長の解任をめぐって。国王のク-デタ-の時に国軍の参謀長をしていたカタワルの定年延長を認めず、マオ派政府は解任、政治権限のない大統領が留任、UML(統一共産党)・NC(国民会議派)は継続。無関係のインドも継続。マオ派が大統領の越権行為に抗議して下野した。マオ派が解任を取り下げなければ連立政府を脱退すると圧力をかけたUMLに反発して、下野した側面もある。
 三者、四者の政治的駆け引きが優先し、貧困に喘ぐ国民不在の政治状況。ネパ-ルも日本も政治本来の目的が見失われている。政治家、官僚のための政治になっている。今こそ「チェンジ」!カルナリ協力会にとって、よい政府にこしたことはないが、治安が安全であればよい。国民と政府とマスコミで時間をかけてとことん激論を行い、貧困削減の国家展望を模索することが緊急課題である。安易な妥協、政治的収拾策は禍根を残すだけである。インド、中国、アメリカの政治圧力を懸念する。自主自立の展望を期待する。カルナリ協力会としては農民が自給自足できるように、政治とは無縁に学校教育を支援し(明徳学園との連携に負うところが大きい)、明日の村を支える青年組織を支援し、農民には農業技術を支援し、女性(男性)たちには料理講習を通して栄養、美味しさを伝え、農村の自立支援を続けていきたい。   (清沢)

08年度・事業報告 「ディリチョール報告」

<海外事業報告> 09年5月 総会資料より (パート2 )
 08年8月27日~9月20日のディリチョールでの活動                  清沢洋

 学校:
 ①新しい2教室、未完成
 ②女子トイレの排水溝、工事途中
 ③トイレの水不足
 ④トイレの屋根の明かりとり
 ⑤障害児教育の教室増の件
 ⑥保健衛生教育の充実
 ⑦旧寄宿舎の屋根の雨漏り補修ほか明徳学園により、強化ガラスの取り付け。全体の3分の1.残りは来年。

 水力発電:
 ①モ-タ-のベアリング取り換え
 ②水路の補修(セメント)により電力アップ
 ③屋根のトタン
 ④自力で維持できるように、月の電気料を値上げすることなど
 ⑤技師のトレ-ニング
 ⑥油絞り機購入を、日本大使館に申請する

 農業:
 サツマイモの実験栽培。雨が降り続け太陽が全くでなかったことと、肥料をやらなかったために、収穫がゼロであった。(来春、再挑戦)。各村の人々は、食料不足をサツマイモ栽培に期待している。
8月30日、ジュムラから当選した国会議員(制憲議員ナレシュ・バンダリ)と村人との話しあい(村人600人。農業省、保健、森林、教育、警察、家畜…各役所の代表、副代表が列席)



  1. ビスタ氏、カルナリ協力会がいなかったら、学校はできずテントだったかもしれない。村を挙げて感謝している。
  2. 政府からの食糧(米)、塩のサ-ビスが3日たっても貰えない。仕事も偉い人の知り合いが優先で貰える。(役人は身分証、米配布券を持ってくればすぐに渡すと、言っているが)
  3. 国は公約で女性の参加率を50%にすると言っているが、全然守られていない。
  4. ヘルスポスト、家畜オフィス、農業オフィスのスタッフが留守で薬もない。どうなっている。
  5. 何度も結婚する女性。未亡人だけが嫌われている。女性蔑視。
  6. 学校を10年生から12年制にしてほしい。先生を増やしてほしい。
  7. 女子寮と障害児の古い寄宿舎の雨漏り修理の要望
  8. 1000軒の村に500本のリンゴの苗木しかくれなかった。
  9. 配給米のク-ポン券、年に2回では足りない。1ヶ月に10キロほしい。
  10. ジュムラで「農民」と言ったら、嫌われるが、何故か?(農民80%の国で、実に奇妙な話) 
  11. 選挙前、議員は学生を金の卵を産むチキンと言ったが、今どう思うか。若者の仕事がない。国家予算で各村の情報をきちんと伝えるために、各村から情報員として採用してほしい。 
  12. ツ-リズムと水力発電を何とかしてほしい。
  13. リンゴのマ-ケットをちゃんとしてほしい。
  14. 洪水で畑が冠水しないように、なんとかしてほしい。
  15. 学校からの要望:新しい寄宿舎を作ってほしい。中央の役人がジュムラを視察した時、ディリチョ-ルにあってジュムラに寄宿舎がないので、ジュムラにすぐ作るように指示した。中央集権の悪弊を是正するために、地方分権(連邦制)国家になったのに、地方には地方の中央集権の悪弊が根付いている。歩いて数時間、大変だから飛行場の町ジュムラに作ろうとする。

■ネパール国際協力・パワーポイントスライド リンクをクリックしてご覧下さい。(製作:清沢洋)
(サイズ6MBのmht形式ファイル 右下のスライドショーの文字をクリックして、スライドショーを実行してください)

2008年9月 ウブド村にて (ジュムラから10Km、ディリチョールとの中間にある村)


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