2010年6月11日金曜日

カンジローバー・ヒマールの絶景

西ネパールジュムラから東に15キロのVDCディリチョールから望むヒマラヤ

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総 会 資 料 2010年5月号

代表あいさつ

白 川 嘉 道

皆様には、日々ご健勝でお過ごしのことと存じます。

お蔭様で、会も順調に年間の業務を進めてまいりました。今年も、現地ネパールに二度清沢事務局長が出張しましたが、回を追うごとに、支援・協力の輪が確実に広がっています。詳しくは総会席上でご報告します。また、直接事務局に対する会への問い合わせもかつてなく増え、有難いことと思っています。

カレンダー事業について、今年もご好評を頂いていますが、部数の伸びについては問題を残しました。これらについても、ぜひ総会の席でお意見など頂きたいと存じおります。

本年度の総会を、下記によって開催いたします。上述の件はもとより、ぜひ様々なご意見、ご要望など承りたく、多くの皆様のご出席をお願いいたします。

2010年度 総会案内 終了後・懇親会

日 時:5月30日(日)、1時~4時

場 所:世田谷ボランティア協会(三軒茶屋)

世田谷区下馬2-20-14、 ☎(5712)-5101

アクセス:渋谷駅より田園都市線で

「三軒茶屋駅」南口下車徒歩8分

総会式次第

1 代表あいさつ 4 10年度活動案

2 09年度活動報告 5 10年度予算案

3 09年度決算報告 6 諸報告、議論、閉会・・・懇親会

① <209年度活動報告>

4月21日 事務局会議

5月20日 ニュース発行

24日 カレンダー制作会議(写真選び)、制作・塚原さん担当

6月14日 総会(三軒茶屋)、懇親会

19日 活動資料展示(千葉市民コミュニティーセンターで、~8月31日)

7月4・5日 4N総会(JICA広尾)に参加

10日 名誉顧問・川喜田二郎先生逝去、弔電送る

17日 カレンダー制作会議

8月 1日~31日 ネパール・ディリチョール支援。①サツマイモの生育確認②発電水路水漏れ調査③学校施設の点検④NKSSと会議⑤石田ドクター秋来診の件伝える⑥ヒマラヤ保全協会事務局長田野倉さん、植林調査に来村⑦

25~27日 第5回「カトマンズ会議」(ネパールNGOネットワーク主催)

10月15日 カレンダー委託販売(新宿複数書店訪問)

11月 4日 ニュース発行

28日 カルナリイベント・世田谷ボランティアセンターにて(ネパールティー、サモサ、ロティ)、カルナリの事業展開・方針自由放談。新メンバー、ネパール人参加。

2月15日 タマン・ネパール大使を迎えて「新年会」(経堂にて、16人参加)

3月 1日(清沢)ディリチョール支援、サツマイモの苗床作りその他。4月18日帰国。

協力者・宮本さん(シニアボランティア・ヘルス専門家)、ヘルスポストを通して村人の健康、栄養、医療の観点から調査、報告。22日まで。米川さん(同志社大学院)、通訳協力と村調査、16日まで。

電気技術者鈴木さん発明の手動発電機・ライトを、電気インフラのない村、12時間の停電のカトマンズ・都市周辺での普及を目指して、ネパールへ。

23日から31日まで。

4月 2日 (染井)ディリチョール支援、ブタ飼育についての講習、ティルク村のユースクラブ対象に。~28日帰国。 (通訳・ガネシュさんの協力)

②<カレンダー事業>

2010年度版カレンダー制作、4回目。4Nの事業として3回目。初回より写真家有賀氏の写真提供の協力のお陰。制作は今回から、塚原明子さんの協力による。評判はまずまず。販売は、今年度も小森さんの熱心な協力により、350部くらいは売れました。残部100部前後。完売協力、よろしくお願いします。1部・500円

③<千葉市民コミュニティーセンターで活動資料展示>

6月19日~8月31日

当センターから、展示要請の連絡があり、快諾。明徳副理事長・鈴木さんの協力により、

カラープリントの写真をプリントアウト。写真のキャプションと村の実情。国際協力の必要性と問題点を記載。(写真を直に貼ったが、次回からはラミネーションしておけば、何度も使えることをネパールで教えてもらいました?)。反響のほどは、未確認。

④<09年度ネパール事業>

教育 薬(基礎的薬)下痢止め、回虫、目薬、皮膚病、怪我・傷、爪切り、風邪薬・解熱剤、

耳、腹いた、歯痛、火傷など(ラズシン先生・理科、ネパールガンジ出身)

水タンク(校内用、500リットル)

学校外周の石垣

女子寮の屋根トタン修理 (旧寮修理の予算で実施)

農業 1、サツマイモ・野菜のポットの苗床作り(担当清沢)。

2、牛の骨(リン肥料)を粉にする水車小屋建設中

3、サツマイモ研修3人(ダマウリへ)。6月14日から1週間。1人12000Rs

(10年度予算、事業として実施)

個別実験から技術研修会(豚の飼育研修会。ティルク村ユースクラブ対象。担当染井)

4、米ぬか液肥作りのトレーニングと播き方の講習(担当清沢)。

5、ブタ飼育の講習(担当染井)

6、ヘルス(担当宮本)、その他(ディリチョール支援活動報告を参照)

未実施

教育 図書費 (図書室設置できず、次年度へ)

トイレ増設 (大使館の草の根支援無償申請で増設検討)

農業 農業専門家派遣 (10年3月は、都合にて同行できず)

味噌作り (来年10年度・11年3月に延期)

野菜の乾燥保存食 (サツマイモ、保存するほどとれなかった)

⑤<新年会・大使を迎えて>

11月のカルナリのイベントにゲストとしてご招待したネパールのタマン大使が、公務で

急きょ欠席されたので、新年会に是非ご出席頂けるように、大使館に表敬訪問しお願いしてきました。当日、新会員のもと青年海外協力隊の江守亜由美さん通訳で、大使との会話にも不自由なく、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。大使がカルナリ地域と言う辺境で20年支援し続けているカルナリ協力会に感謝を述べられると同時に、興味を持たれたようです。今度千葉に是非行きたいということでした。(私がネパールに行っている間に、江守さんのメールに清沢さんはいつ帰ってくるのか。千葉に行くというメールが入っていたそうです。)5月中に実現したいと、思っていますが・・・。

⑥<ディリチョール支援活動報告>

いろいろな方々の協力により、多くの種を播いた。多くの成果が期待される。活動報告をします。(10年3月)

1、宮本さん(JICAシニアボランティア・ヘルス専門家)により、ヘルスポストから見たディリチョール村の栄養、健康、衛生状態、病気の状態と今後の対策の報告を、カルナリニュースに発表してもらうことになっています。

2、染井さんがティルク村のユースクラブのメンバー(7人)を対象に、ブタ飼育の講習を行い、2011年3月から7人が飼育することになり、来年指導に行ってもらうことになりました。子ブタ1匹4000ルピー。半額支援、総会で検討。

3、昨年に引き続き、サツマイモ・野菜の苗床作り。ティルクの青年たちによる苗床作り。その後、模造紙とラミネーションを使って3回、15人から25人の青年たちに畝作り、米ぬか液肥の作り方と播き方(1Mに1リットル)、芋づるの切り方(9葉)、植え方、貯蔵の仕方などの講習を、是松さんに教えてもらった通り、私が行いました。4月には、葉が出ていました。ほっとしています。

4、是松さんが支援している村(ポカラ近くのダマウリ村)へ、サツマイモの研修に3人派遣する。6月14日から1週間。畝の作り方、ツルの切り方・植え方、液肥の作り方、播き方のトレーニングを受け、各自200本のツルを買って帰る。3ヶ所を種イモの拠点にする。交通費1人12000ルピー支援。

5、牛の骨を水車で挽き、リン肥料にする。ティルク村の青年たちによる事業。上流からパイプで水を引き、水車小屋のタービンを回す工事中。粉ひきと同じ水圧で計算しているので、再検討するように指示。

6、ダルスープの豆を柔らかくするために、1日中煮炊きしているので、女性の労働軽減と薪の節約(森林保持)の観点から、同じダルでも、味噌汁であればお湯が沸騰すれば仕上がるので、労働軽減と薪節約になる。日本的ダルスープのデモンストレーションしたところ、6人の青年から好評を博し、7人が来年味噌作りに取り組みたいという。その後は自分たちが村人に教え、普及するという。来年、麹の確保が重要。

7、NKSS(現地村のカウンターパートのNGO)のセクレタリー(事務局員)を採用したいとの要望があった。村の青年のレポート(報告)能力を確認したところ、従来のNKSSのレポートよりよく、一定水準に達していた。単に月1度の事業報告に留まらず、事業推進のために指導、管理も担当できるのであれば、カルナリとしては助かるので、総会で検討したい。現地における日本語の通訳としても助かるので、明徳学園で3か月研修させ、日本語、レポート書きのトレーニングすることを提案。来年度実施の方向。カルナリでも日本語のトレーニングのサポートを考える必要がある。

8、ヒマラヤ保全協会との共同事業として、ジャプナ村での植林ニーズのアンケート調査の実施。建築材、燃料用、牧草、薬木。苗床炉の共有地、植林の共有地確保可能。水やりボランィア可能。ヒマラヤ保全協会に提出し、次の段階へ(申請書作り)。

9、リナモッチェスクールの修理申請計画(日本大使館の草の根支援無償・ネパールの学校、NGOが申請できる援助事業)。校舎・教室の内外の石と石の間の泥が削り取られたり、石が外されたり、かなり損傷が進んでいる状態。黒板も書き辛いので、ホワイトボードに変更。トイレの増設、教室の増設、水源から水道のパイプの埋設、コンクリ。寄宿舎(生徒・先生)の修理など。

10、通訳のボランティアをしてくれた(感謝しています)同志社大学院生・米川安寿さんより、ディリチョール報告届く予定。

11、2011年3月、学校で中学生を対象に、ブタの飼育教育を1日2時間、週に3回を2週間行い、その後豚を飼育し(餌を全校生徒に手のひら1杯持参させる)、1年後、全校生徒で豚肉を食べる。豚肉のおいしさを食べて教え、村での飼育を普及させる。(担当染井さん)

3月中旬までのディリチョールは、毎日カンジローバーヒマールがはっきりと見え、夏の村とは別のような素晴らしく美しい村でした。山小屋もガスコンロが入り、炊事が大変便利になり、私は初めて圧力なべでご飯を炊くことが出来ました。やってみると、簡単でした。持参した味噌で毎日、味噌汁を作りました。唯一の御馳走でした。4月13日、ネパール暦の大みそかで、村人が祝っていました。初めての経験でした。

(4月の通訳は、ガネッシュ・マガール青年実業家・ツーリスト会社経営。JECSカトマンズ駐在員。安いボランティア料金で協力してもらいました。感謝しています)

1、私の見た、感じたディリチョールVDC

―保健状況を通じてー

宮本 圭(看護師・助産師)

念願の西ネパール訪問がやっと叶いました。ネパールには他機関のボランティアとして住んだことがありましたが、西ネパールは全くの未知の世界で、着くまで想像は膨らむばかりです。…実際着いてみると、世界食糧計画(WFP)による道路の拡張整備、INGOの保健サービスなど、開発の波がここにも押し寄せてきていました。

医療職の視点から2週間の滞在での見聞や感じたことをいくつかの場面からご報告したいと思います。

1. 地域住民に最も近い医療機関サブ・ヘルスポスト

私の限られたネパール経験から、カトマンズ盆地を離れた地方ではヘルスポストやサブ・ヘルスポストが開いていることは稀で、スタッフが常駐していないことさえ少なくありません。ですから、サブ・ヘルスポストを訪問する際、診療していないだろうと秘かに思いながら行ってみると、一人の若い准看護師・助産師(以下、ANM)が診療していました。配属されて5ヶ月目のANMです。他にこのサブ・ヘルスポストには、医師補(以下、CMA)、もう一人のANM、BHW1名、AHW1名、Peon2名が勤務しています。私の2週間の滞在中一度も全員が揃ったことはなく、殆ど毎日この若いANM一人によって運営されていました。一日6時間診療するはずですが、実際開いているのはその半分の3時間から4時間。この状況をひどいというのか、まあまあ良しとするかは考え方次第ですが、私は細々とでも動いているのをみて、まずは一安心!しました。

では、この村人に最も近い、第1次医療機関サブ・ヘルスポストの利用者はどのくらいいて、どのような疾患・症状(本来は病名と症状名は区別されるべきですが、検査機器のないヘルスポストでの診断は疾患・症状が混在していることが一般的です)が多いのでしょうか?外来利用者は下の棒グラフにある通りです。4月・5月をピークに、乾季の10・11月に向かって減少傾向にありました。その理由として、年度初めの薬剤・物品の支給がある頃は、「薬が潤沢にある→住民が薬をもらいに受診する」の図式で、逆に薬が少なくなってくる年度末に向けて「薬がないので(サブ・ヘルスポストに)いっても仕様がない」の図式が成立し、外来受診者数の減少になっていると考えられます。8か月分の診療記録台帳からは、おおよその疾患・症状の内訳がわかりました。予想通り雨季では下痢性疾患、呼吸器系疾患が多く、乾季では呼吸器系疾患や発熱、頭痛が多いという結果です。そして、時期を問わずに、外傷が多いことも目に付きました。(写真1)

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写真1:近所のけんかに巻き込まれて傷を負った

女性の消毒場面

ティルク村のサブ・ヘルスポストにはいくつもの課題があります。今後の目標として考えられることは、まず、継続して日々診療が行われ、村人から頼りにされる医療機関となること。そのためには、スタッフの高いモチベーションが必要です。今は希薄な村人と保健スタッフとの信頼関係の強化も大切な要素になりそうです。次に、スタッフの技能のレベルアップとヘルスポストの機能強化。そして、村人・保健スタッフに共通した「クスリ絶対主義」の価値観の変容のように感じます。課題は決して小さくはありませんが、改善への可能性も感じられたサブ・ヘルスポストの状況でした。

2. トレーニングを受けた村の女性の今…

ティルク村では以前サブ・ヘルスポストは機能しておらず、住民は医療サービスにアクセスできずにいました。そこでカルナリ協会は活動の当初、村の女性に保健に関するトレーニングを受ける機会を与え、その彼女達を中心に、村の保健衛生状況が少しずつ改善することを期待しました。6名を選出し、首都でのトレーニングを受けてもらったようですが、その後、女性達はどうしているのでしょう。私の関心事の一つでした。

村を歩いても、サブ・ヘルスポストへ行っても、学校へ行っても、その彼女達の誰一人に会うことがないだけでなく、噂さえ聞きません。思い切ってNKSSのリーダーに聞いたところ、返ってきた言葉は、一人を残して村を離れたというもの。対象であった女性達が若かったのでしょうか、ティルク村に殆ど残っていません。結婚をして近隣の村へ嫁いだ女性、首都でANMになった女性、等々。唯一村に残っている女性は、郡の教育事務所に雇われて、週1回学校で保健関係のクラスを持っているということですが、残念ながらカルナリ協会の学校保健プロジェクトとの連携はなく、どのようなことが行われているかは不明です。彼女達にとってトレーニングはどのような意味を持っていたのでしょうか…。

今後は、新たに村の女性を再びトレーニングすることよりは、現存する地域のシステム(サブ・ヘルスポスト)の中で保健衛生面への支援を検討する方が妥当であり、持続可能性があると感じました。具体的には、何とか運営されているサブ・ヘルスポストの機能強化や、ハード面からではない学校保健への支援だと感じます。学校保健では基礎的な衛生教育が不可欠ですが、それは洒落たトイレの設置や数の問題ではなく、例えばなぜ手洗いが必要かといった知識の獲得と意識の醸成であり、彼らの内部から起こる行動の変容です。少し時間がかかるかもしれませんね。

3. サブ・ヘルスポストとINGOの協働

サブ・ヘルスポストのついては前述しましたが、その役割は多様です。日常的な診療のみならず、予告なく訪れる国連関係者の指示に従い、後述の女性コミュニティ・ヘルスワーカー(以下、FCHW)に対してトレーニングをしたり、5歳未満児のヘルス・チェックアップに出張したり…。文句も言わず、突然の仕事をこなしていきます。困るのは、急にヘルスポストを閉められてしまう住民ですが、その点についての配慮は残念ながらありません。

3-1.FCHWのトレーニング

ネパールの保健制度には、医師や看護職といった専門職としての教育を受け、資格を有する職種と、その専門職を補強し、協働するべく後から作られたボランティア職があります。途上国では女性の健康問題が大きいことから、そうした母子の問題を軽減するために作られたボランティア職としてFCHWがあります。主な役割は、担当地域内を歩いて回り、予防接種や妊婦健診・施設分娩などに関する啓発活動です。実際に薬を投与したり、注射を打ったりする行為はしませんが、彼女達の活動は予防できる感染症を減らして乳幼児死亡率を減少させたり、栄養失調・体調不良児の早期発見や受診の勧奨、妊産婦健診受診や施設分娩への啓発など、決して小さくありません。

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写真2:ヘルスポストのスタッフ(ANM)に 栄養の話を聞くFCHWら

ここデリチョール村でもFCHWの女性達に出会いました。この日は19名いるうちの11名のFCHWが出席(出席率約58%)して、「栄養」をテーマにした約1時間半のトレーニングが行われました。トレーナーはサブ・ヘルスポストのスタッフで、WFPが支援をしているようです。栄養を考えた食事の必要性、栄養不足になるとどのような症状・問題が起こるか、などを、いくつか質問を投げかけ、彼女達の知識を確認しながら丁寧に行われていました。ネパール人はこういう教育は実に上手い!

FCHWに選ばれる女性の年齢は様々ですが、私の印象としては自分の意見が言える、他の女性たちと積極的な関わりを持つことを嫌がらないようなパーソナリティの人が選ばれているようでした。彼女達は自分の村に帰ると、トレーニングで習った内容を、今度は自分がトレーナーとなって知識を伝える役割を持ちます。その報酬は年間2千ルピー。高いか、安いかは、彼女達の村での働き次第です。

物に頼らない、「人材育成」は地味ではありますが、時間をかけてその地に根付く支援のように思われます。一方で、開発分野ではボランティアベースの仕事の有効性を批判する声があるのも事実です。次回は、実際にこのFCHWらが自分の村に戻って、村の女性を啓発しているのかを、現場に身を置いて参与観察し、事実を確認したいと思います。

3-2.INGOによる5歳未満児ヘルスチェックアップと無料移動診療に考える

ある日、サブヘルススタッフに用事があり、立ち寄ると、何時もになく、人の列が出来ています。殆どが女性たちですが、中には高齢の男性もいます。噂で聞いていた、母子保健を専門とするヨーロッパのINGOによる無料診療の日なのでした。診察を受けに来るのですから、ここにいるのは病人、のはずですが、みなきれいな衣類に着替え、楽しげに談笑しています。私の印象は、まるで井戸端会議中みたい。診察は正しく診察室で医師により行われており、その診断に基づき薬が処方されていましたが、ここで行われるのはすべて無料。無料の診察、無料の薬です。ですから、これだけ人が集まって来るのです。勿論、日頃医師の存在しないサフ・゙ヘルスポストで診断がつかずに困っている住民がこの日を待ちに待って来るということもありますが、それはごく一人か、二人といったところでしょう。多くは「無料の薬」をもらいにやって来ます。ただでもらう薬、どのように使われるのでしょう。

もう一つのエピソード。別のINGOが行っている5歳未満児のヘルスチェックアップ(実は成長モニタリング)です。これは私の滞在最終日、サブ・ヘルスポストのスタッフと健康教育を企画していた日のことです。さあ、準備はバッチリ!今日は健康教育だ!と出掛けたところ、スタッフが申し訳なさそうに、「ディディ(年上の女性に対する敬称)、ごめんなさい今日、別の用事ができちゃった…」と。聞くと、そのヘルスチェックアップに出掛けるのだそう。折角だからついていくと、幼児教育のための教室?に集められた子どもが20数名。

INGOから送られてきたスタッフの指導の下、ヘルススタッフと私は順に子どもの身長・体重を測っていきました。記録中、ここは「何を書くの?」とスタッフに聞かれますが、私こそ聞きたい!INGOスタッフに聞いてもらちは明かず。幼児教育の先生?の女性は、計測が終わるたびに「それで何(の薬)をくれるの?」と聞きます。そうです、成長モニタリングを受けると、何かクスリをもらえると思っているようです。病気じゃないのに薬はだせない旨を伝えると、ちょっと恥ずかしそうに苦笑しています。きっと今まではもらっていたのでしょう。

また、この成長モニタリングのレポート用紙にはアドバイス記入欄もあります。でも、殆どが3,4歳の子どもです。どうやって、誰に、何をアドバイスしたらよいのでしょう。たくさんの疑問を抱えつつ、計測・レポート作成を終えた帰路。歩きながら、身長・体重の計測だけでは意味がなく、栄養状態の評価をする必要があること(そのための指標も必要)、そして、子どもの成長・発達については母親に指導しなくては改善がないことを、INGOスタッフへ話しました。一つ目の栄養評価をしていないことについては、「ネパ-ルはシンプルなんだよ」と。これは暗に、だから、測定だけで栄養の評価までしなくてもいいと言っているようです。二つ目の母親への指導に対しては、「そうだね、明日やってみるよ」と即答。そんな簡単にできるのなら、なぜ今までできなかったのか…きっと理由はあるはず。

この成長モニタリングの参与観察から気付いたことは、レポートのためのレポート作成になってしまっているということです。子どもの栄養改善が目的ではなく、援助団体にレポートを提出することが目的になっており、

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写真3: 無料診療のために近隣の村から集まった

女性達。(サフ・゙ヘルスポスト前)

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写真4: 村人には宝の山にみえるだろう、薬、クスリ、くすり…

そのデータを収集・評価することがINGOの目的になってしまっているのではないでしょうか。本来の目的は、子どもの栄養状態を知り、可能な改善策を取ることのはずなのですが。

今一度、2つの例について考えてみます。誰のための成長モニタリングでしょう。何のための移動無料診療でしょう。仮に、無料診療が住民の保健行動を助ける以上に、クスリをくれるという援助への依存を形成してしまっていたとしたら…考えすぎでしょうか。少なくとも、無料の診療には継続性も、住民自身が自分の健康問題を自主的取り組む行動を生み出すことは稀有ではないかと思います。お金を払って診療を受けるからこそ、真剣に次は同じ病気にならないよう、あるいは同じ症状を抱えないよう予防しようとしたり、早期に治療を受けようとするのです。どんなにクスリをもらおうとも、無料の場合にはこうした行動は起こりにくいと言われます。 保健分野における開発の課題をみたように思います。

たった2週間の滞在でしたが、百聞は一見にしかず。西ネパールの保健状況を現場に身を置くことで、貴重な学びをさせていただきました。

最後になりましたが、この村滞在の機会を下さいましたネパールカルナリ協力会、事務局長・清沢さんへ心より感謝いたします。また、今年の主な二つの試行プロジェクト“野菜プロジェクト・サツマイモプロジェクト”と“豚飼育のための講習会”が成功しますよう、心より願っております。

10、米川さんからの報告が届きましたので、添付します。

活動参加レポート(感想)

米川安寿

今回、カルナリという地に、足を踏み入れることがとてもうれしいと感じていました。

それは何故かというと、極西部山岳地域は一番インフラが整っておらず、一番貧困問題が深刻だと、本を読んで理解していたためでした。

なぜ一番貧困な地域に行けることがうれしいのか???これには理由がありました。私はここ3年にわたって大学で開発学を学んできましたが、「途上国の貧困」と称される「貧困」を、ネパールでなかなか目撃することができなかったからでした。

「ネパールはすごく貧困じゃないか?」と思われる方が多いのかもしれませんが、私にはなかなかそれが分かりませんでした。インドや東南アジアのある国々を訪れた時は一瞬でなんとなく貧しい気持ちになりましたし、アフリカを映像で見ていても、すぐにつらい気持ちになりました。しかし、ネパールに関しては、同じようなものが必ずしも感じられなかったのでした。私はカトマンズ・ジャパ・カスキ(ポカラ)・チトワン・ゴルカをそれまで訪問していました。特に、そこで小さな家に窮屈に住んでいる人、家が貧しくて家政婦をしている人などを結構見てきました。もちろん都心部のストリートライフを送る人も見ました。しかし、教科書から学んできた「貧困」が見えなかったのです。

何が私の中で違ったのか?長い間考えており、まだ完全な答えには至っていませんが、まず、人の目が学んだ「貧困」と違うのです。私は貧しいという人々に時に街を案内してもらったり、お茶をもらったりし、かわいそうな姿を見るのでもなく、お世話になったりしていました。ネパールの人々には貧困や迫害や剥奪で飢えきった心を訴えるような目が少ないと感じていました。インドや東南アジアでは乾ききった心を映しているような目、または生きるための差し迫った感じをよく見受けましたが、ネパールは少し違う感じがあったのです。だから、いくらその人が貧しくても、同じ人間として心が通う感じがありました。もう一つは、道行く人々の歩く姿でした。世界の途上国では、どんよりしたような目で歩き、宛てもないような、あるいは道端でただ座り込み、ただ時間を過ごしているような光景をよく見ましたが、ネパールではみんな早足で何かに向かっているように、そして多くの若者は友達と腕を組み楽しそうに、ときにはカップルで歩いているのです。その時一瞬「あれ?先進国の光景じゃない?」と思うのでした。また、盗難にあうこともかつてなく、「お金はいらないよ」といわれることさえもあったのでした。先進国では逆にそれもあり得ません。そういうわけで、国の空気感が、私の学んだ「貧困」国の空気ではない、何か普通の空気でしかない、そんな感じがしていました。

そういう理由から、私は「貧困といわれているネパール」を理解したいと、カルナリに期待していたのでした。

もちろん、貧困の側面については、たとえば政治の腐敗とそれに疲れきった人々の話も聞くし、社会的サービスのなさにも残念な気持ちでした。街の汚れも極限状態だと思います。またストリートチルドレンが4000人くらいカトマンズにいることや、その背景を本で読み、児童養護施設で生活する子供たちの生活など知人から聞いており、それなりに考えるところはありました。そういう理由から今回は、私はカルナリで「今度こそ教科書で学んだ貧困を自分の目で」と思っていたのでした。

今回はネパールカルナリ協力会の通訳として同行し、自分の現地調査も兼ねて、3月4日から14日まで同行させていただきました。10日間で、私にはある一定の結論が出ました。それは、「きっとネパールは教科書の貧困そのものではない」ということでした。

私が教科書などから学び抱いていた「貧困」のイメージは、薄暗く、汚れを落とす水がなく、苦しく、悲しい、そんな雰囲気に包まれている状態だったのですが、訪れたカルナリのジュムラにあるディリチョール村は偉大で大きな山々がそびえたち、そこに太陽が降り注ぎ、人がせっせと何やら荷物を運んで、馬やロバもともに歩き、家を建てる人や井戸端会議をしている人々がいる、そんな一見穏やかな光景がありました。

もちろん、生活用水の入手には重大な問題が確かにあり、学校も少なく設備もない。病院も確かにないし、食料もものすごく質素で、不足していました。物質的に楽な生活では決してありません。でも、やはり人々の心が乾ききって疲れきっているというのは本当に少なく、同じ人間として心が通うことができました。

当たり前のことかもしれませんが、ネパールを「貧困」という時、例えばアフリカのように宗主国に支配されたり、部族間衝突だったりを経験する中で社会が疲弊してしまった結果の「貧困」を想像してもそれは違うし、東南アジアのASEAN諸国のように急速な経済発展の中で取り残され、奪われ、見捨てられたような「貧困」を想像するのもおかしいし、ラテンアメリカの多くの国のように先進国から資源目的で支配されたり、政治も混乱して、一般の生活が貧窮するような「貧困」を想像するのもまたおかしい。ネパールには一種また違う「不足」があるのだ、そう感じました。

けれど、実際にはネパールも、そのような背景から発展してきた‘途上国感’や、先進国の決めた指標でアフリカやASEAN諸国、ラテンアメリカなどなど世界の国々と同じように図られ、結果、サブサハラアフリカと同じ「世界最貧困国」になっています。これで実際、多くの人はネパールを知らない場合には他の国々と同じイメージで「貧しくてかわいそう」になっているのだと思います。そしてきっと国連や大きな国際協力機関で働くエリートは多くが何も知らずにネパールも「貧困国」として同じレッテルを貼って巨額の支援をしているのだろう、そう思うと支援のやり方を考えなくてはいけないと思います。

そんな中、今回のように草の根NGOに参加するのはとてもいいものでした。今回も、現地の人と同じ人間として毎日ともに考え、一歩でも自分たちの何かを良くしようと考えるのは、とても真実味があってよいものでした。

もちろんそれも単に綺麗ごとではなく、日本人の求めるような責任感がないことや、マネージメント能力の不足、それによる全般的な進歩のなさにうんざりすることも経験しました。そして、それがネパールのある意味での進歩の遅さでもあることを、今回はよく理解できました。

先進国のようにガツガツとし、競争し、成長することはあまりにもストイックで悩ましいけれど、生きていくための絶対的不足を補う努力はあってもいいと思います(また差別など、人権的問題の解決も必要だと思っています)。NGOの国際協力はそれをしているから、私はそういう意味でのネパールへの協力は必要だと感じました。また都市部では、「政府があるならちゃんと機能せよ」とも思うので、政治的にはストイックに発展してほしいと思います。

今回、ディリチョール村の農業協力をメインに、教育協力、ヘルスポストの見学もしました。責任感やマネージメントの問題は大きく、せっかく作ったのになくなっていたり、壊れたまま放置していたり、機能しなかったりと、改善がこれからもたくさん必要なことを理解しましたが、特に農業などは若いメンバーも多く、農業でもサツマイモの栽培、肥料作りが発展してみんながたくさん食べられるようになると本当にうれしいと思います。

NGOは人と人の関わりで、とても地道だから、がんばって向き合えば前進もできると思うし、ともに喜びも味わえるので、カルナリ協力会のこれからをぜひ見つめていきたい、ときには訪れたいと思いました。

今回は、今まで以上にたくさん学ぶことができ、そんな機会を与えてくださったネパールカルナリ協力会に深く感謝をしたいと思います。ありがとうございました。 2010年3月

自己紹介 米川安寿(よねかわあんじゅ)

同志社大学政策学部在学中に開発学を学ぶようになり、現在大学院でネパールの女性と子供の貧困について研究中。ネパール生まれで、今回は7回目の渡航だった。2009年8月に4N会議で清沢先生と初めて会い、カルナリに同行したいと申し出て、今回同行させてもらった。

11、村での養豚講習とブタ飼育環境調査を終えて

染井 英夫

千葉県の農業大学校で、酪農、養豚や飼料学を教えておりましたが、定年退職を機にカルナリ協力会の皆様の知己を得て、予てからの夢だったネパールの農業支援に関われることになりました。ネパールは私にとっては元々、趣味のヒマラヤトレッキングで何度か訪れていた大好きな人々の国でもありました。

折しも清沢事務局長さんが3月から現地入りしていることもあり、3月31日に退職辞令を受け、翌々日には急遽出発することになりました。

出発前に現地情報を収集した結果では、豚の飼育は東ネパールを中心に行われており、タライ平原を除く西ネパール地方ではあまり飼育されていないということ、カースト制度にあってはブタや豚肉に対する特殊な意識が存在すること等もあり、地元の青年達からオファーがあったにせよ、村への養豚の導入は一筋縄では行かないだろうと思っていました。特に現地は標高2,500mもの高地であり、将来、他の地域から導入するとなると、高地順応して生産性が確保できるかという点で大きな不安がありました。また、タライ西部における日本脳炎発生の情報もあり、慎重にならざるを得ない状況でもありました。

そこで今回は、「現地での飼料調達の可能性」、「地域におけるブタ飼育に対する意識」、「地域に適した飼育形態と適正規模」、「近隣地域からのタネ豚導入の可能性」を主眼として調査し、合わせてブタ飼育のための基礎知識を講習することとしました。

ネパールは全土にわたってウシ、山羊の多い国であり、山岳地が多く狭い国土に日本の2倍以上のウシが飼育されており、ディリチョールVDCも例外ではありません。したがって、家畜飼料になりそうな資源は無駄なくこれらの家畜に利用されており、さらにブタ飼育を普及させるとなると、新たな資源を発掘するか、ウシの飼料を流用しなくてはならなくなります。そこで、最初はあまり多くの飼料を必要としないで済むように、1戸に1頭ずつの母豚を飼育して子豚を産ませ、離乳後1カ月程度の子豚をバザールで売却する「子取り雌豚経営」がこの地域に適していると思われました。戦後間もない頃の食糧難の時代のわが国で、ブタ飼育が普及し出した状況とも似通っているからです。

次に、近隣の地域からタネ豚を導入できるかという問題です。幸か不幸か、村は高地ということもあり、ブタの伝染病を媒介する害虫も少なく、偶蹄類の伝染病も発生していません。この清浄な状態は将来にわたって維持しなければならない財産ですので、村内やジュムラから導入できないかと考え、訊き込みをしながら現地調査したところ、村内に2か所とジュムラに3か所の養豚飼育を確認できました。これらのうち、3か所は繁殖をしており、子豚購入の目途がついたことは収穫でした。

さて、ティルク村のユースクラブ有志に声をかけ、日差しの暖かい1日、インスティチュートに集まって貰い、ブタ飼育の基礎について学ぶ講習会を開催しました。駐在ポリスも混じって10数人で2時間ほど話をしたのですが、通訳のガネッシュ君の活躍もあり、7人の若者がブタを導入したいと手を挙げてくれました。この日の資料は、後日テキストにまとめ、翻訳して村に残すことになりました。カトマンズに戻ってからこれを作成し、1日がかりで翻訳に協力してくれたクリシュナさんに託すことができました。

今後は、母豚のお産や子豚管理、種付けの実地実習、飼育設備の指導、ジュムラなどからの子豚購入の段取りと、将来、販売する際課題が残されていますが、長い目で見ながら地域の農業を育てていく姿勢が必要だと考えています。

私にとっては、初めての海外協力活動でしたが、限られた期間で思っていた以上の活動ができたのは、現地ならびに国内の協力組織の積極的な動きがあったからこそではないかと思います。

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日差しの中での豚飼育の講習会 ジュムラで見つけた養豚業者の

チャンドラ・マニさん

千葉明徳学園の姉妹校交流

理事長 福中 儀明

千葉明徳学園は千葉市内にあり、短大・高校・幼稚園・保育園があります。来年4月には中学も開校します。

本学園の鈴木副理事長が清沢さんと知り合いという関係で紹介を受け、姉妹校交流を提案いただきました。

私は1970年代80年代にネパールに4回行き、うち2回はアンナプルナ方面の単独トレッキングをしています。ですからネパールの地理は大体わかり、西ネパールが特に貧しいこと、トレッキングの対象になる高山がないことなどは知っていました。最寄の空港のあるジュムラの名前も知っていましたが行くことはありえないだろうと思っていました。

あまり魅力のある土地ではなさそうだけれど、清沢さんが勧めてくれるからとりあえず見てみよう、と気軽な気持ちで下見に行ったのが2006年9月のことでした。

ジュムラの空港から歩いて4時間、標高2600mの村にリナモッチェ(リンモクシャ)・ハイスクールはあります。子供達が校舎の前に並び、手を合わせる挨拶の「ナマステー」で歓迎してくれたときは涙の出るほど感動しました。

校地は広く、ゆるい斜面だがグラウンドもバレーボールコートもあります。黄色いシャツの制服を着た子供達の目は好奇心に輝いていました。来るまでには少し苦労したが、来てよかったと思ったものです。

先進国である日本の学校は同じ先進国に姉妹校や研修旅行先を求めるのが普通で途上国を対象とすることはほとんどありません。途上国では交流ができないのだろうか、研修ができないのだろうか、いやそんなことはないでしょう。

泊めてもらった地元の農家の屋根の上で村を見下ろしながら、村を囲む山々を見上げながら、考えました。

――中腹に出作り小屋を建て、泊まりこんで牛を放牧している。冬に備えて草を刈る人もいる。その周りで子供達が走り回って遊んでいる。谷を囲む斜面のあちこちから子供達の歓声が響いてくる。自動車を見たことがない彼らもやがては学校で世界を知り、都会にあこがれ、カトマンドゥへ出て行ってしまうのだろうか。100%農家のこの村の将来はどうなるのだろうか。都会に行かずこの村で一生を終える人は最期の瞬間に何を考えるのだろうか――

学校で子供達の笑顔を見て、菜食して、尻を手で拭いて、山と宇宙を眺めて、生きることを考える――先進国にはありえない稀有な体験です。

だから――姉妹校とする価値があると考えました。以来4年、今年もまた行くつもりです。カルナリ協力会の皆さんも一緒に行きましょう。

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7、<09年度事業点検>

2008年度より農業技術支援にも力を入れ始めたので、現地協力NGO(NKSS)を介して事業を行うという形態から、事業ニーズのあるグループ(具体的にはティルク村のユースクラブ)に対し、技術協力することと事業費を直接渡すという形態に移行している。事業そのものへの支障は出ていない。むしろ機動性がある。しかし、NKSSの組織運営、維持問題が懸念される。検討課題である。

事業費を活動グループに直に渡しているが、NKSSを通すほうが、よいのかも知れない。

NKSSの存在の再確認が必要。メンバーの主流が先生。家で農作業を手伝っていても、農業自体を主に考え、行っている訳ではないので、農業技術支援事業を行っていく上で温度差が生じている。検討が必要。NKSSの存在自体、問題は全くない。

事務局員の必要性。(10年度事業案で)

9、<2010年度事業案>

農業事業支援

1、子豚支援(1頭4000ルピーの半額支援)。ティルク村青年7人が飼育希望。飼育指導は染井さん。 2011年3月、子豚が生まれる頃に村に入る予定。

2、サツマイモの苗床。

3、ビニールハウスによる野菜栽培。青年クラブからの強い要望。実験的に希望者7~10人くらい支援。

4、牛の骨を粉にする、水車を完成させる。実りに大切なリン酸肥料が不足しているので、是非実現させる。

5、ヒマラヤ保全協会との共同植林事業(技術指導はヒマラヤ保全協会)。ジャプナ村。10年4月に村人との話し合い済み。村人から求める声大(必要)。協力。積極性、意欲的。

6、学校で豚飼育の授業を行い、実際に飼育する。成長したら全校で試食するまでを、トレーニングする。 技術指導は染井さん。 栄養、現金収入、実学等を教える・・・

7、味噌作り(麹をネパールのダマウリ・是松さんのフィールドから分けてもらう)

8、乾燥野菜の技術指導(予定)

9、古代米(ジュムリマシー)の再生技術支援に挑む

10、温暖化に伴う冷害対策を指導できる技術者募集。

11、その他

教育支援

1、明徳学園の生徒交流

2、農業、理科実験授業予定 農業技術者募集

3、日本語指導・先生募集

4、夏には道路が出来て、車(トラクター)が村に荷物を積んでくるようになるらしい。

価値観、生活スタイルが急激に変化し、狂い始めることが容易に考えられる。

******どなたか!健康な価値観、生活スタイルを伝えに行ってもらいたい。

(日本も不健康なところが結構あるので、上からの眼線ではなく経験者として伝えてもらいたい)

ヘルス

1、現地の手の届く範囲の健康を指導

2、トイレ、飲料水の普及

NKSSのセクレタリー採用の件

レポートを月に1度、きちんと報告する。

事業の指導、管理を出来る人。

日本語が出来る人。(明徳学園で3カ月間、日本語、レポート書きの研修をさせる)

ひと月のサラリー3000から4000ルピー。継続できる人。

ハード支援から技術支援へ

<国内>

1、 ホームページの充実(多くの人の意見を反映させる)、リンクを増やす。

2、 パンフレットの改訂

3、 楽しいニュースレターを(若い担当者、新しい担当者の参加)

4、 イベント実施

5、 スタディーツアー実施、得意分野での協力実施

6、 カレンダー事業

7、 技術研修への参加

8、その他

9、検討:年会費改正。個人3000円を5000円、団体5000円を1万円に。

総会報告

5月30日、2010年度の総会、無事終了いたしました。

以下、ご報告します。

2009年度の事業報告に続き、決算報告を説明し、2・3点の質問がありましたが、承認されました。会計監査の承認済。

(質問・①カレンダー収入に関して。カレンダー事業は単独会計で処理し、収入額のみ

記載していることを、補足説明し納得了解して頂いた。

②繰越金について。通帳管理している代表から情報確認不足によるミス記載

で、指摘を受けて訂正した経緯を説明し、参加者に納得了解して頂いた。

繰越金 1047105円を・・・・→129647円に訂正

2010年度の事業計画案は2点、議論の結果以下のように訂正され、承認されました。

① NKSSのセクレタリーのサラリー月3000ルピーを、1000ルピーに修正

理由:必要は納得できるが、仕事がどの程度出来るのか未知数なので、1年間様子を見るということで。とりあえず、1000ルピー(約1350円)で。

② 年会費の改訂に関して。いろいろな会の年会費をみても、5000円は決して高くないが、提案されてすぐに改訂よりは、来年度から改訂することを折に触れて会員に伝え、理解を得たほうがよい。以上の考えから、今年度は従来通りで、次年度改訂の方向で会員の理解を得ることに決定しました。

③ 事業として、国際協力の日・10月2,3日(日比谷公園)ネパールカレー

を作り販売することに決まりました。

※ホームページを充実させるために、2カ月に1度は更新できるように専属担当を、江守亜由美さんにやってもらえることになりました。

ホームページに載せたいような写真や記事があれば、どんどん送って下さい

※※ニュース担当も、新しい感覚で読みやすく、面白く、楽しいものになればということで、これも江守亜由美さんに担当してもらえることになりました。

2010年度の「収入」に関して、繰越金の訂正、年会費ほかが違っていましたので訂正。

2010年度の「支出」もNKSSのサラリー訂正、ブタの頭数2頭追加(種豚)追加し、

「2010年度予算」が承認されました。

<2010年度事業>

農業事業支援

1、子豚支援(1頭4000ルピーの半額支援)。ティルク村青年7人が飼育希望。飼育指導は染井さん。 2011年3月、子豚が生まれる頃に村に入る予定。

2、サツマイモの苗床。

3、ビニールハウスによる野菜栽培。青年クラブからの強い要望。実験的に希望者7~10人くらい支援。

4、実りに大切なリン酸肥料が不足しているので、牛の骨を粉にして使えるようにする。

5、ヒマラヤ保全協会との共同植林事業(技術指導はヒマラヤ保全協会)に向けて、ジャプナ村の人々と話し合い、植林の要望と協力を確認した。協力姿勢。積極的、意欲的。

6、学校で豚飼育の授業を行い、実際に飼育する。成長したら全校で試食するまでを、トレーニングする。 技術指導は染井さん。 栄養、現金収入、実学等を教える・・・

7、味噌作り(麹をネパールのダマウリ・是松さんのフィールドから分けてもらう)

8、乾燥野菜の技術指導

9、古代米(ジュムリマシー)の再生技術支援に挑む

10、温暖化に伴う冷害対策を指導できる技術者募集。

11、その他

教育支援

1、明徳学園の生徒交流

2、農業、理科実験授業予定 農業技術者募集

3、日本語指導・先生募集

4、夏には道路が出来て、車(トラクター)が村に荷物を積んでくるようになるらしい。

価値観、生活スタイルが急激に変化し、狂い始めることが容易に考えられる。

******どなたか!健康な価値観、生活スタイルを伝えに行ってもらいたい。

(日本も不健康なところが結構あるので、上からの眼線ではなく経験者として伝えてもらいたい)

ヘルス

1、現地の手の届く範囲の健康を指導

2、トイレ、飲料水の普及

NKSSのセクレタリー採用の件

レポートを月に1度、きちんと報告する。

事業の指導、管理を出来る人。

日本語が出来る人。(明徳学園で3カ月間、日本語、レポート書きの研修をさせる)

ひと月1000ルピー。継続できる人。1年間様子をみて、判断する。

ハード支援から技術支援へ

<国内>

1、 ホームページの充実(多くの人の意見を反映させる)、リンクを増やす。担当:江守

2、 パンフレットの改訂

3、 楽しいニュースレターを(若い担当者、新しい担当者の参加)担当:江守

4、 イベント実施(10月2・3日、国際協力の日(日比谷公園)にネパールカレー販売)

5、 スタディーツアー実施、得意分野での協力実施

6、 カレンダー事業(担当:塚原)

7、 技術研修への参加

8、 ディリチョールのラムリー村以外の電気のない村々に、手廻し発電ライトを送る運動を推進する。1人で1台分(11000円)援助するか、数人で1台分援助するか、協力を呼び掛ける。(ソーラーパネル充電型14000円。手廻し発電・ソーラパネル充電型18000円)。10分充電して、1時間点灯。フル充電で9時間点灯。(詳しくは、技術者・鈴木さんのホームページを、http://www.dream-energy.jp

9、その他

10年会費改正について。2011年度値上げ実施に向けて、2010年度は機会あるごとに、会員に理解して頂けるように説明を繰り返す。

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